先日こちらのエントリー悲しきソウルメイトで、『日出処の天子』を読んだと書きました。
そのあと、作者の山岸凉子氏が哲学者梅原猛氏の『隠された十字架―法隆寺論』という本を参考にしたということを知って、読んでみました。
(600ページ弱あって、すっごく大変だった。それでブログの更新がなかなかできませんでした💦)
聖徳太子といえば、一万円札にも登場した歴史上のスーパースターだと思っていたのに。『日出処の天子』ではこのうえもなく孤独な悲劇の人として描かれていました。最近では実はいなかったのではとか、『日本書紀』で太子がやったと書かれていることは、ひとりでやったわけではないとかいろいろいわれているようです。
以下ネタバレになりますが。『隠された十字架』でも、聖徳太子は子孫を抹殺された悲劇の人として登場します。私は太子の息子の山背大兄王が一族もろとも殺されたなんて知らなかったわ(学生時代は世界史選択だった)。だってそんな人が1万円札のモデルになると思う?
太子は『日本書紀』で類まれなる能力を持つとして美化されていますが。それは太子一族を消したものたちが、自分たちの悪事がばれないようにしたことだったというのです。そんなすばらしい人の子孫を、自分たちが手にかけるわけないでしょうと。
子孫が消されたのは、死後のことだったとはいえ。太子は怨霊になったと考えられます。その時代に疫病や太子一族を殺した関係者の死など不幸で不吉な出来事が起こるたびに、太子の祟りと考えられ、鎮めるために造営されたのが法隆寺だというのです。法隆寺のあちこちに配された舎利器は太子や子孫たちの骨をおさめたもの。
そして、それでも繰り返された祟りを鎮めるために、最後に行なわれた身震いするほど恐ろしい太子への強烈な呪詛……。それが法隆寺の夢殿で行なわれていたのでした。というような、梅原氏による考察です。
自分の無知が情けなくなりますが、この本は昭和47年には出版されていたのです。そのころから聖徳太子に対するこんな見方があったのね~。改めて法隆寺に行きたくなったわ~。
こんな話のあとにお恥ずかしい限りですが。以下は私が苦労して熊野古道を歩いた道中記です。「熊野古道の謎」とかそんな話は出て来ないけど。実際に訪れた話なので、ぜひ読んでみてください。KindleUnlimitedならそのまま読めます。Amazonポイントやギフトカードでも買えます!
法隆寺に行ったのは昔過ぎて写真がないので。以下は4年前に行った四天王寺。