私は個人的に、「病む」って言葉好きくない。
ふざけて言ったりするぶんにはアリと思うけど、
「病む」を本気で使ってる人はは、つもり なだけだと勝手にだけど思ってる。
友達が使って本気で悩んでたりして、その友達を嫌いになったりしないし、心配になるし
いいんだけど、
私の頭の中での「病む」の定義は、違う。
というか「病む」がもし自分に適応されるなら、現代人の忘れている時代の犠牲者や、今も尚悲惨な被災地やら戦争紛争地域に生きる人にはもう言葉すら無くなるのではないかと。
私の悩みであることは全て、恵まれているからこその悩みだろう。
人間関係、楽器、学力、経験、体調
全て。
でも、そんな自分が、「病む」を使ってもいいのかも、と思うくらい、
今、結果が出せず、体デブだけどボロボロで、忘れられないことはほとんどトラウマのように浮かぶ。
妥協して、自分は「病む」の真っ只中なんだと
一瞬考えた。
でも、
「でも」に「でも」を重ねに重ね、考えてみているんだけど
私には友達や彼氏がいる。
友達や彼氏に対しての、自分の落ち度や劣等は、いつも悲しくなる原因でしかないけど
まだ「病む」は、使用頻度上昇用語にはせず、
生きていきたい。
そんだけ。
明日から、
和声学
ソルフェ
対位法
は携帯いじったり寝たりしないでいよ。
教職は、
レポートは今まで通り
音源聴く時間にもする。
グループでやるやつとかは適度にこなそ。