こんにちは
食べたいな
を、すぐに叶えることが出来て幸せな私です
大好きなおじいちゃんとお別れしてきました
母方の祖父
もうすぐで102歳になるところだった
ずっと元気で、自分で歩いていて、デイサービスも楽しそうに通っていたそう
そんなおじいちゃんが入院したと聞いて、すぐのことだった
周りに迷惑かけないように…
って思ってたんだろうな…
私は、この数年、会えていなかった。
長男に「だからお見舞いに行かなくて良いの?って言ったじゃん!」て言われた
そうだね
ちょっぴり、後悔、
だけどね、そんなに悲しくない自分がいて、
薄情な気持ちではなくて、
私、おじいちゃんが生きている時に、
たくさん、たくさん、もらったから
子どもの頃…
私の家は、わりと古い農家の本家で、お嫁さんとしての母はいつも大変そうだった、でも、夏休みに母と共に里帰りはしていて、それが本当に本当に楽しみだった
帰る時には「まだ帰りたくない」と駄々をこね、仕方なしに家に帰れば「次はいつ行くの??」と数日言い続ける…なんて迷惑な
だけど、それくらい、母の実家に行くのが楽しみで、楽しくて仕方なかった
おじいちゃんはもちろん、おばあちゃんも、伯母さんもとても優しくて、本当にみんな大好きだったから…母の兄である伯父は忙しくて不在な事が多かった。
小さな頃は誰かに連れて行ってもらわないと行けないと思っていた、でもある時気づいた!
小4くらいかな?
自転車で行ける距離だった
それを知ったらもうこっちのもんだぜ
と、
しょっちゅう遊びに行ってた
「また来たのか〜」と言われながらも
おじいちゃんは、いつも穏やかで、怒ったり声を荒げたりとか一切見た事なくて、ニコニコで、
母から聞いた話し、
「成田山へお参りに行く道中、易者さん?の前を通り過ぎた時、じいちゃんを見て、その易者さんが『生き仏じゃ〜』と手を合わせていた、と。」
本当に菩薩様かと思うような人だった。
殺伐とした家にいた私は、もしかしたら無意識にいつも癒されに行っていたのかも知れない。
私が結婚してからも、たまに会いに行ったり、おじいちゃんがウチに来てくれたり、我が子たちを可愛がってくれていました
私は、母から【慈愛】を教わったと思っていたけど、このおじいちゃんの存在が母に【慈愛】を分け与えたのかな…と、おじいちゃんこそが【慈愛】の人だったんだな、って思う。
だから、
とても悲しいけど、寂しいけど、
感謝の気持ちの方がとても大きい
私もその血を分けてもらったから
おじいちゃん
おつかれさま!
本当に本当にありがとう
早くおばあちゃんと会えるといいね
諸行無常
だけど、魂はずっと見守っててくれると信じてる。
最後まで読んでくださり有難うございます