衣都を産んでからは、もちろん
生後12日で亡くしてから数えても
半年以上が経ちました


衣都が生まれたのは、妊娠24週

衣都がお腹にいた時間より
亡くしてからの時間の方が長くなりました


そう考えると
何とも言えないザワザワした感情になります


衣都がいない日々が繰り返されて

妊娠していたこと、衣都を産んだことが
夢だったのではないかと思う時もあります


そして、そう思うくらいに
哀しみから距離をおいて気をそらすことで
四六時中、嘆くことはなくなったけれど

同時に
衣都のことを忘れてしまいそうな恐怖感
日常を送っていることへの罪悪感
に押しつぶされることも増えました



衣都を亡くした哀しみを
常に剥き出しにして直視するのはつらすぎる

でも、記憶の底にしまいこんだり
哀しみに蓋をすることは
したくない

相反する感情に、日々、揺らぎます


でも、というか、だからこそ?
最近は、こう考えるようにしています



【哀しみにベールをかける】


ふわっと薄いベールをかけて
常にその哀しみの存在を感じて抱きながら

時折、そのベールをとって
哀しみと向き合う時間を作る


そんなイメージで過ごせたらいいのかな、って

実際は難しいですけれどね…苦笑



そして
半年を経て思うことが、もうひとつ


帝王切開後の妊活お休み期間の
1年のうち、やっと半分が過ぎて

再開まで、同じ時間を待たないといけないこと

そして、妊娠したら

10ヶ月……この半年より、さらに長い期間
順調に経過しているか、不安な日々を過ごすこと

それに耐えられるのか、とても不安です


衣都を亡くしてから今まで
早くもう一度、我が子を抱きたい
すぐにでも妊娠したい
と思っていましたが

今になり、妊娠後の不安が一気に増しました

これも時間の経過とともに起きた変化かな…


この先の半年で
この気持ちがまたどう変わるのか分からないけど

その時の素直な気持ちを受け止めて
過ごして行けたらいいなと思います