今日で衣都が亡くなって100日です
100日前の20時15分に亡くなりました

今月は、本当にイベントが多くて
記念日反応に振り回されています…

意識するから、しんどいんですが
意識してしまうんですよね、つい



NICUで12日間、必死に生きてくれた娘
本当に頑張り屋さんで、強くて、賢くて
可愛い可愛い、自慢の娘です


いつかの記事にも書きましたが

私の唯一の救いは
悔いのない看取りが出来たことです

看護師としての知識があり
娘の状態がどれだけ厳しいのか
あとどれくらい生きられるのか
だいたい分かってしまう日々でした

だからこそ希望が持てなかったし
それが懸命に生きている娘に申し訳なくて…

でも早めに覚悟が出来たからこそ
生きているうちにしてあげたいことが出来て
最期の時もそばで、抱っこで、看取れました


100日前、朝、NICUに行って
娘の血圧等で今晩が看取りだと覚悟しました

正確に言うと、その前日から感じていて
だからその日は泊まり込みの準備をしました


朝早くからそばに付き添って
お手洗いに行くのも食事に行くのも全て
娘の血圧変動を見ながら動きました

絶対に、そばにいないときに
一人で逝かせたくなかった


1日が本当に長くて
一瞬たりとも気が抜けなくて
人生で一番、つらい日でした

何度も何度も、夢だったらいいのに
妊娠中からやり直せたらいいのに
そんなことを考えて涙しました


娘の最期と向き合うことは
本当に、本当に、つらくて苦しくて

でも頑張っている娘から
逃げることだけは絶対にしたくなくて
必死に自分を保ちました

そのおかげで
娘の血圧がいよいよ下がり出したときに
すぐに抱っこをさせてもらって
腕の中で、娘を看取ることができました


きっと、すごくつらくて苦しくて
どうしようもなく号泣している自分と
その自分を冷静に見る自分がいて

その冷静な自分が
後々、後悔しないようにって
今すべきことを考えて動かしたのだと思います


今も看取りの場面は
ものすごく鮮明に思い出すことが出来ます


小さな小さな身体で
きっとすごく苦しかっただろうけれど
全身で全力に生きてくれた娘

その娘を抱っこで、腕の中で
最期を迎えさせてあげられてよかった

それが母親としてしてあげられる
数少ないことの一つだったと思っています


そして亡くなってから
気管チューブや点滴が全て抜けて
穏やかな顔をして眠っている娘は
可愛くて、もう本当にすごく可愛くて
この世で一番、愛おしかったです

そんな最愛の娘の
最初で最後の沐浴をして
可愛いプーさんの服を着せて

初めてお家に帰ってくることができました



あれから100日

娘を確かに産んだはずなのに
その娘がそばにいなくて悲しくて
あれは夢だったのかと思うときがあります

でも、確かに娘はいたし
私はあの子の母親でした

いえ、今も、これからも、あの子の母親です


小さな身体で懸命に生きて
命の大切さ、生きている素晴らしさを
教えてくれた娘に恥じない母親でありたいです