<15年前,東日本大震災時に助けられた
福島県>
あの日のことは、忘れません!
今度は,恩返しをしたいものです。
車の名前は、Vergil(バージル)
サンダーバード2号の操縦士の名前(^-^*)
国際救助隊として、能登に出撃したい!
全国からボランティアの方々が!
津波被害の民家の瓦礫や海砂の撤去を
行いました。
東京,石川,鹿児島,、、、と全国から
かけつけてきた方々に助けられました。
私は地元から参加しました。
ボランティアは、自己完結です。
自分のことは全部自分でやるのが原則です。
1班に一人リーダーが割り当てられます。
リーダーの合図でスタートし、
休憩に入ります。
そして,個人情報保護で、自己紹介等は
名前だけで他はありません。
(私は,銀行員に間違われました(^-^*)
当時,私の体調は万全ではなかったのですが、
必死に活動しているうちに
鬱も克服し、人間としてとても大切なことを
たくさん学ぶことができました。
ボランティアの方々のあの真剣な表情と
温かい言葉かけに今でも感謝しています。
本日の地元新聞
能登半島の復興,復旧を今は祈るばかりです。
能登半島地震から早2年。地震から半年後、私は長年申し込み続けていた連泊可能なボランティア活動に、ようやく参加することができた。今回は石川県の七尾市での活動だ。ネットで事前登録し、岡山県総社市の野口健さんと連携して設営されたテント村に一週間滞在した。テント村は野球場外野の芝生に100張りのテントが並び、地元の方々は初めての私のような初心者にも非常に親切に接してくれた。中には家が全壊した方もいて、その話を聞くと胸が締め付けられる思いだった。朝9時からの本部でのオリエンテーションを経て、被災地の復旧作業にあたった。10人ずつの班を編成し、リーダーや保健係を決め、ハンマーや工具、バケツなど必要な道具を選び、軽トラックや2トン車で家屋の瓦やブロックの片付け、災害ゴミの分別作業を行った。現場は倒壊した家や散乱した瓦礫、ブロック塀など、震災の爪痕が生々しかった。土嚢袋はすぐに満杯になり、炎天下の中の作業は想像以上に体力的にきつかった。作業を終え、縁側で微笑むおばあちゃんの「ありがとう」の言葉が、何よりも励みになった。正直、身体的にも精神的にも過酷な一週間だったが、炊き出しの温かいご飯や味噌汁、仲間との団結感がその困難を支えた。この経験を通して、日本中のどこででも災害が起こりうると実感した。今後は本格的な支援が進むことを願いつつ、最後は多くの人の“マンパワー”の結集が復興の鍵であると強く感じた。
(1月中に、朝日新聞に投稿予定 600字)







