備蓄を進めていくと、不思議な感情に襲われます。

 

備蓄って、どこまでやるべき?

 

備蓄という行為は、動物としての本能に近いなと。

扁桃体という原始的な脳に突き動かされて、備蓄を始める。

多くの人の備蓄の動機として、そこにあるのは‘不安’なので。

 

震災などが起きて数日間の‘とりあえず’の非常食が整った時は、「とりあえずはこれで何とかなる」とホッとしました。

 

でもその後気になっていろいろ調べていくと、世界情勢なども踏まえた中長期的な食糧備蓄に備えている方のブログやYoutubeが目に入り、もっと長期間備蓄をしているのです。

それを見るうちに焦ってきて…。

 

不安を出発点として備蓄を始めると、いくら備蓄をしても不安は完全には解消しない。

 

…と気づいてしまう。

 

備蓄に舵を切った自分のいびつさも、また見えてくるのです。

 

キリギリスのように‘今さえよければ‘‘その時になれば何とかなるっしょ’という考え方も危うい一方で、

常に災害時・有事のことばかり考え、それを基準に行動するのも、いかがなものかと。

本来人生は、楽しんでなんぼ。

 

その辺りの折り合いをつけるために、自分の中で一つの線引きをすることにします。

 

わが家では、半年間の備蓄を上限とします。

 

それでも長いっちゃ長いけれど、そこまでがっつりじゃない。

一年分ためようとすると、スペースの問題もり日ごろの生活にも影響を及ぼしてくれるので。

 

缶詰などの食材を備蓄する時にも、これを頭において判断することにします。

皆さんは、どのくらいを頭に置いていますか?