黄色い花続きです黄色い花

日付は31日になっていました。
さぁ、明日からまたちぃ君との生活が始まるし、一度発症すると水頭症は再発があるらしいから少し寝とこう、って午前2時は過ぎてました。
昨晩はちぃ君と一緒に寝た布団に一人で入って、多分直後に深い眠りについたんだと思うんです。
枕元に置いた携帯の着信音に気付かなかった…。

午前6時、目覚まし時計よりも早く起床。
ピカピカと光る携帯………。嫌な予感「着信時間午前4時36分、呼び出し時間21秒」

ドキドキして震える手でリダイヤル。
「はい、○○動物病院で…」「ちぃ君が何かありましたか?秋陽…秋陽…」言葉が出てこない。
「あぁ、ちぃ君のお母さん、あのですねちぃ君今朝…」もう聞きたくない。
「秋陽を迎えに行きます。ちぃ君を返して下さい」、そのまま実家に連絡。
母が出て何も言ってないのに「運転したらいけんよ、直ぐに行くけん」まだ、退院して車の運転なんてほとんどしてなかった母が来る?来れるの?

キャリーバッグは昨日ちぃ君を連れて行った時に預けて帰った、持ち物はいつものバッグだけ。
母が来るなら下の道まで降りて待とう、そしたら少しでも早くちぃ君に会える、ちぃ君が待ってる。

腰の手術をして以来、平らな道を歩くのが平気になったばかりなのに、夢中で坂道を下ってました。当然そんな足じゃ日曜日の朝、渋滞もなく普通に来れば20分もかからない実家からの道のり、坂道の途中で母に合流「ちぃ君が…ちぃが…」泣いてばかりいた私に母が「今は泣いても良いけど、ちぃ君に会ったら泣いちゃダメよ」って。無理やろ?泣くやろ?って思ってたら「ちぃ君は笑ってるお母さんを待ってるよ」その言葉と共に母の頬にも涙が、ダメや危ない、私が泣いてたらお母さんも涙が出て前が見えん、ちぃ君のお迎えが遅くなるって。

さっき夢中で歩いた坂道を車で上がって、バカみたい私。

15分もかからず病院に到着、「車止めたら行くけん、先に入りよ」って入口で降ろしてもらって病院内に、自動ドアと共に鳴るようになってる「ピロロロ」みたいな音で出てきたのは、医院長の奥さん。
実家でワンコを飼うようになって以来お世話になってる病院、以前は看護師さんと一緒に暴れちゃうワンコを抑えるのを手伝ったりしていたのに、最近はお孫さんおんぶして子守りをしてる「お婆ちゃん」私を見るなり「こちらです、今Dr.を呼ぶから待ってね、一人?」「母と一緒です」言い終わる前に母が入って来て「あぁ、どうしたの凄く痩せたね」なんて母と話してる。

診察室の中からDr.医院長先生だ。
走る様にドアに近づいたら、凄く冷たい風が診察室から漏れてきた。
「寒い」思わず出た言葉に「夏だから…」
診察台の上には小さな白い箱、「秋陽は?ちぃ君は?」その箱に入ってるのは分かっているのに、聞かずにはいれなくて、でも近づけない、見たら現実になっちゃう、私のちぃ君が…。

先生の奥さんがそっと背中を押してくれて一歩近づく、まだ見えない。
もう一歩
「あぁ…秋陽」やっぱり泣くのを我慢なんて無理、大泣き。
先生がゆっくり優しく秋陽の最後を話してくれた「4時に確認した時は呼吸をしていましたし、安定していました。2Fの入院している猫ちゃんの点滴の異常音を確認しに行って戻ったら呼吸が確認出来ず、直後に点滴の異常を知らせるアラームが
鳴りました。4時25分頃から蘇生をしましたが、蘇生させる事が出来ませんでした」私は「じゃあ先生が診て下さったんですか?ちぃ君は一人で寂しく亡くなったんじゃなく先生が一緒に居て下さったんですね」って聞いたら、「はい、私と妻ともう一人スタッフと3人で、ちぃ君は発作が起きたとかじゃなく、スっと息が止まった感じだったから全く苦しまなかったよ、一度は呼吸が戻ったから電話をしたけど1分も経たずにまた止まってしまってね、電話は直ぐに切ったんだよ」せっかく連絡をもらったのに、私は着信音を聞き過ごした、生きているちぃ君の最後の瞬間、私は寝てた。

「ゴメンねちぃ君、ゴメンね」泣きじゃくる私に、「小さな体でよく頑張ったよ、ちぃ君はお母さんにまた会おうって頑張ったんよ、さぁお母さんしっかりちぃ君を抱っこしてあげて、褒めてあげんと」そう言われて箱越しに抱っこしかかったら先生がそっとちぃ君の体を持ち上げて、こんなに小さいし若いし、男前さんやに助けられんでゴメンな」って私にちぃ君をそっと抱かせてくれた、健康時1.2㌔だったちぃ君は900gになってしまって、いつもなら私の腕にしっかり擦り寄って来た柔らかかった頬は固くなり始めてて、力が入ってなかったからか重く感じて私は現実を受け止めるしかなくて、涙を拭って、ちぃ君の体中に少しでも温度が残ってないか探してみたけど、無理だこんな寒い部屋だもん、「ちぃ君、お家に帰ろう、皆待ってるよ」私の言葉を確認して奥さんが部屋を出た、再び入って来て渡されたのは元気になって入って帰るはずだったキャリーバッグ。

母が受け取り私がちぃ君を抱っこして診察室を出ました。お会計「今日じゃなくても大丈夫ですよ」と言われたけど、秋陽の事はちゃんとしなきゃと思って申し出を断り支払いをしました。

帰りの車中出て来たのは「昨日ね、この道を帰る時明日はちぃ君と帰るんだって思って帰ったんよ、一緒は一緒やけど、まさかね…。


自宅に帰り、普段はあんまり使用しないクーラーを強めに入れて、ちぃ君を寝かせて娘ちゃんもしっかりお別れして、仕事中だった旦那ちゃんも帰って来てくれて、実家から父と弟も来て皆でお別れして、時間はどんどん過ぎて「じゃあ、お母さんたちは帰るから後はきちんと斎場に行って来なさい、それとも帰って来るまで待っとく?」母はまだ本調子じゃない、弟が来てるのは帰りは母の車を運転して帰るためだ、中3の娘が居るのに、甘えちゃダメ。
「ありがとう、時間どのくらいかかるか分からんし、良いよ」って言って見送った、また会える見送りは手を振って「ありがとう」ってちゃんと言えたし、斎場の方との待ち合わせの時間も迫ってた、今まで実家で飼っていた子たちは亡くなると家の庭に葬ってた、上に人が踏まない様にって時期の花を植えて、でも私は無理、庭に秋陽を埋めたらきっと掘り返しちゃう。

冷静な自分とおかしくなった自分が混在している感じで、自分で斎場にも連絡して予約したのに、いざとなると、また足が動かない。声が出ない。旦那ちゃまが居て良かった。

斎場の方の先導する車の後ろを行くと開けた駐車場に到着。
手造りっぽい階段を上がると別府湾がキレイに見える丘の上だった。
祭壇の前に秋陽を寝かせる様に言われるが、もう直ぐお別れなのに1秒でも離れたくないのに、また涙がでた。お坊さんが私の腕の中からそっと秋陽の入った箱ごと連れて行って(目の前だけど)お経が始まって、私は徐々に何でこんな決断したんやろ?秋陽を焼いちゃうなんて私、おかしいこんな所から早く帰らんと、お経中はこんな事ばかり考えてました。不謹慎ですが、本当に真面目に考えてました。

お経が終わり、外に促され出ると私たちよりも早く来ていた家族が次の説明を受けていて聞こえて来た。「もう焼けましたので、この後骨壷に骨を入れます」私はその会話に耳だけ向けて不思議な形の台に乗せられて花を飾られた秋陽と一緒に居た。

この時の不思議な感覚は今もハッキリ覚えています。私は秋陽に向かって「ちぃ君、起きて、ここに居たら大変だよ」って言いながら冷たくなったちぃ君の身体をさすって温めたら生き返る気がして、それでも起きないちぃ君、次に考えたのは完全に異常なんですが、ちぃ君を食べてしまおう、私の中に取り込んでしまおうと考えたのです。

また、その時に聞こえたのが先の家族の会話、小学生の女の子が「これで○○はもう痛くないね、一緒に帰れるね」お婆ちゃんらしき人が「ずっと入院しちょって遊べんかったけんな、帰ったらいっぱい遊びよ」…あれ?ここで焼いて帰ってもまた一緒に遊べるの?
私は名も知らない家族の会話のおかげで、ちぃ君を食べずに済みました。

900gの身体はあっという間に焼かれて骨になりました。
選んだ骨壷はちぃ君のグッズカラーの水色の花「忘れな草」が書かれた小さな物でした。その小ささにまた涙が出そうでしたが、この大きさはきっとちぃ君が十年生きていても変わらなかったと思いますが、本当に小さくなって、でも立派な骨壷を収納する外装?で包まれて私の元に帰って来ました。やっぱり身体のままだとギュッと力いっぱい抱っこ出来てなかったので、ギュッと抱きしめて帰宅しました。

旦那ちゃんは仕事に戻って行き娘ちゃんと二人、さっきまでちぃ君を寝かせていた台に骨壷を置いて線香を絶やさない様にゆらりと上がる煙を呆然と見ていました。

生まれて1年と30日、我が家に来てから8ヶ月弱、秋陽は何を伝えに我が家に…、私の元に来たのか?今も考えます。
長生きしてもらいたくて、厳しくドッグフードしか与えませんでした。小さい身体で真剣に私から出る指示を待ってお行儀よくお座りが出来る子でした。
ご飯を食べたらワンコベッドの淵で顎の下についたご飯の残りをキレイに自分で拭いて、そこを舐めて最後まできちんとしていました。

ちぃ君が来たのが縁で、お嫁さん候補に「美陽(みはる)」ちゃんも迎えましたが、ちぃ君が亡くなった時、みはちゃんはまだ8ヶ月のおチビちゃんでした。

あやワンコママのブログ


小さなお嫁さんに優しいちぃ君は、しっかり尻に敷かれてました(笑)カメラ貴重な2ショット写真。

今回、小説の様に書いてみましたが、今からが何故今回これを書こうと思ったかになります。

黄色い花続きます黄色い花