からだとこころのつながりで良くなっていく -7ページ目

からだとこころのつながりで良くなっていく

心を守るために身体はいろんなサインを出してくれている・・・。

過去の掃除をずっとしているうちに

嫌なこと なかったことでみないように

していたというか 忘れていた記憶が

徐々に思い出してきています。

 

思い出しても苦しくないそんな状況に

なれてきたから

途切れ途切れになっていた自分自身のバランスが

とれるようになってきたのかなと

思います。

 

今は ひとつ何か整理をするごとに

ものすごいスッキリ感になっていて

今度はそのスッキリ感のためにというぐらいの

感じですすんで 見つめ直しや整理、清算をしています。

 

重い内容が含まれていますので

無理せずに・・。

 

昔、

何か 負の出来事があって その瞬間は

すごく嫌だったり 傷ついたりして、

そんな中で凹みます。

 

その状況の中で それでもなんとかしていかないとと

無理にでもすぐに切り替え、

そしてがんばってきて でも結局

それでまたしんどくなって・・の繰り返しを

してきたなぁと思いました。

 

例えば 保育園で仕事をしていた昔

新人の私と超ベテランの方との二人コンビでした。

 

その方はとても気が強く 実はその方と組んだ方々が

その後 やめていったり 病気になったり・・

みんな陰では 鬼 と言っていましたが

皆さん自己の保身でめいっぱいだったのです。

 

それでも ベテランであるその方が

いくら評判が良くなくても それは職員の中だけで

保護者の前での完璧な姿を 誰も

崩すことが出来ない・・程の実力的な方でした。

 

なぜ新人1年目の私がその方とすることになったかというと

そういう違う土地から来た私は もしすぐに辞めても

その園では何も全然困らない人になります。

いろいろ考え、大人の都合も含め 

私をその方のコンビにしたのでしょう・・。

 

全く違う都会から地方へ 本音でいうと

母親から逃げたい気持ちから就職という形で飛び出した私。

 

それからの1年は その方との時間は

苦痛でした。

「ここは私のクラスだから 黙っとけ・・」と

小声でささやかれ、他のクラスの私の同僚である

新人に手作りのカバンを作り

私ももらいましたが 失敗だらけのミシンの糸が絡まっている

そのままを渡されました。

そして使わなければ ほら みんな使ってるのに

薄情な人といわれ引っかかるカバンをいやいや

使っていました。

私と連絡が取れないと夜遊びしていると噂され

全ての悪評の根源はその人でした。

 

そして

とにかく雑用 子供の下の世話ばかり、

お昼寝の時間は真冬の中 

外の窓拭きなど温かい空間から出され

部屋の中であたたかそうにコーヒーを飲んでる

姿を見ながらの掃除。

 

2歳時のクラスの子供の腕を無理やり引っ張り

腕が抜けてしまったことがありました。

迎えに来た保護者にその子自体が

まだお話ができないのをいいことに

「転んだんですよ」

と嘘をつく人。

 

そして強く口止めされ 怖くてなにも

できなかった私。

 

途中でやめてしまいたいと思っても

実家に帰ったら 母親に

「ほら!お前は何をやっても

できるわけないのにそんなとこ行くからや!」

といわれるしかない・・・。

普段から言われ続けていたし

就職してからはお前を育てた分 金返せ!と電話でも

言われ続けます。

 

それも嫌で だからその土地でがんばっていました。

 

1年目のお正月が明けたくらいから

流れが変わってきました・・。

 

クラスの子供達が みんな とっさに

私の方にしか来なくなったのです。

 

そして私という人間のことが少しわかるようになってきた

職場の人の中で いい人たちとのご縁が

生まれだしたのです。

怖すぎて 愚痴ひとつ言わなかったのが

良かったのです。

その人の話をするのも怖かったので・・・。

 

すると・・まさかの奇跡がおきました。

 

後2年働けば表彰されるはずのその方が

ふと 家族と過ごしたいからと退職を望まれたのです。

 

周りの反対を押し切ってやめる事を決断したその方。

 

私はようやくその人からの 集中したいじめから

解放されることになったのです。

 

そして2年目の私は 今までみんな

病気になるか退職していたのに

最後まであのキツイ人とよくがんばりました 

と一人担任を ご褒美でさせてもらえることになりました。

 

同期の2人は 副担任のままでしたので

今度はその妬みが始まってしまいます。

 

とにかく なんとか乗り越えました。

 

それから・・・今度は有意義な自分のクラスの子供達と

大変だけど楽しい時間を過ごしました。

 

でもそれが長くは続かなかったのです・・・。

 

休むことなくがんばったことで 私の頭には

頭の皮膚の色がなくなるほどの ストレスと

卵巣嚢腫になり倒れてしまいました・・。

 

そして体の不調が戻らず すごいうつ症状になり

担任から外れることになりました。

 

3ヶ月ほどお休みして職場復帰した私は

フリーの担任になり 全ての年齢の子供達と

接するようになって それぞれ大変勉強になり

ようやく 毎日を楽しく過ごせるようになりました。

 

そして園のイベントでは私のことを

みんなが覚えてくれていたので 私が出るだけで

子どもたちみんなが喜んでくれたのです。

 

年度末までその楽しい時間を過ごし

私は地元に帰ることにしてやめました。

 

一旦落ち込んだ体が完全に回復しなかったからでした。

 

辛い出来事が 短大卒そこそこの私にはキツかったのかもしれません。

あの2年間は衝撃的な事が多すぎたのです。

 

何よりも1年目にあった大きな事件。 

クラスの子の母親が子供を道連れに焼身自殺を図り

大切なクラスの子もなくなりました・・・。

 

生きてるって何?と思うほどの大きな出来事でした。

 

何があっても親だからといっても子供に対して

いいえ、

親でなくても人が人の可能性を潰してはいけない!

そう強く思った2年間でした。

 


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