意識が遮るっちゃ | 芯★あやみと愉快な世界たち。

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まったり漫画イラスト大好きな日々です。

こんにちは 右膝が謎にずっと鈍く痛みを持っている あやみ です。

 

 いやはや、先日友人と晩ご飯を食べた帰りにポツポツととりとめのない話をしながらずーっと歩いていたのですが、その会話の中で。

 

 さほど意識せず勢いで思いついた事は簡単に行動に移せるのに、いざ本当に興味が出て真剣にソレについて考え出すと逆に意識しすぎて行動に移しにくくなるよね。

 

 という話がありました。

 

 私の人生(私に限らず他の多くの方がもしくは)結構こういったことの繰り返しで、結局動けずそのまま見逃して「まぁ、そんなもんだよな、だって私はこんな性格だし…」なんて気持ちでため息をついて終わらせ、少し後悔を残すということがしょっちゅうの事のように思えます。 

 真剣だからこそ恐れるのか、だけども、真剣だからこそそれに真っ向から向き合えなかった後の自分への失望さも大きかったりして。

 

 けど、それをしようがしまいが。ほとんどがそれは私の中だけの問題であって、他人から見れば「…え?やればいいんじゃない?」と他意は無く思えるようなことばかりなんだと思います。

 なぜなら私が同じような立場の他人に対して同じように思うから…なんですが。

 

 つまり物凄い葛藤がそこにあったとして、その葛藤は他人からは分からないし、結局事実として分かるのはその人が出した結論だけな訳ですから。

 一日悩もうが、1ヶ月悩もうが、一年悩もうが、はたまた半世紀悩もうが、他人が知るのはただその結論の形のみだったりするんですよね。

 

 つまり何が言いたいのかっていうと…(……なんだっけww)

 そう!その事実を自分に突きつけて「ほら、だからそんな深くまで悩まず、勢いでやっちゃいなよ!他人はその結論や結果しか知ることは無いんだから!」と諭してやりたいんですよ(笑)

 

 一度沼にハマってしまうとそこから這い上がってくるまでに結構精神力(体力も)すり減らしちゃいますからね(笑)

 

 

 あ、これはあんまり関係ないのですが。

私が小学生だった頃、大縄跳びの授業がありまして。皆が斜めに並び順番にタイミングを見て一回跳んでは出て行く、というものがありまして。

 私はただ「入って、跳んで、出て行く」としか考えておらず、その通りにやって縄を抜け、また列の最後尾に戻るとき、何故か周りがザワザワ言っているのに気がつき、何事かと思っているとどうやら私の飛び方が面白いことになっていたようなのです。

 普通入ってその場で跳び、そのまま出て行けばいいのですが。私の場合縄に入った瞬間体の向きを無意識に反転させ、入ってきた方向を向いた状態で縄を跳び、そしてまた反転して出て行ってたらしいのです。

 そう、「らしい」と言ってしまう位なので、それらの一連の流れは全て無意識だったのです。

すると他の皆が「私もソレやる!」と真似しようと次々挑戦していくのですが、一旦それを知って、意識した瞬間からもう私はその跳び方が出来なくなってしまいました。

 無意識だったから出来ていたのに、それが普通ではないのだと知ってしまった瞬間から今までどうやっていたかが分からなくなってしまったんですね。

 

 無意識で何かが出来るって、本当に心地がいいものですよね。計算でもなく、雑念もなく、ただ体の動くまま、超自然体でそこにあるもの程清々しいものはねえです。

 

 ……あれ、何が言いたい文章なんでしたっけ(笑)

 

 とにかく、結果一人で色々考え込んでも、要は出てくるものの形がどうあるかが全てなんだろうから、考え込むよりは動いてみるってことか!って、ことです(笑)

 

 (……でも今回のこのブログの記事内でめちゃくちゃ考え込んじゃってるわww)