過去をさかのぼり、手術のことを書きたいと思う。

 

入院日。明日5月1日朝には、手術という前日の記録。

 

 

手術のために1ヶ月間、我が家は「緊急事態宣言」と題し自粛生活を送っていた。おねねも入学式後に休校になったため、ほぼ引きこもり生活を強いられた。

GW明けにはいよいよ学校が再開するので、できれば私が送り迎えをしたかったが、やむを得ない。近くにすむ祖母が面倒をみてくれることになっていた。

 

おねねにとっても試練の春となった。


  病棟での試練


11時に病院へ着いた。

受付では、ここ1週間の行動確認と家族の体温記録の提出を求められた。コロナ禍での手術はなにかと手続きが面倒だった。

 

いざ、病棟へ。

看護師に「ここからは(付き添いは)1人です。お母さんでよろしいですね?」と言われた。

そうだ。私だけで、付き添わなければならない。

でも荷物を置くまでは、病室まで夫と行けるものだと思っていたもんだから、ちょっと面食らってしまった。

 

病室は4人部屋。ほとんどが短期入院のお子さんらしかった。どのベットもカーテンがしっかりと閉められていた。

私は「よろしくお願いします。」と控えめに話しかけた。隣の方から(カーテン越しに)返事があって、ほっとしたことを覚えている。

 

どの患者も(しかも抵抗力のないお子さん)院内感染等の規律で、新参者はなるべく接触しないようにしているということを聞いた。同じ病室であっても気軽に交流できない状態に、手術の不安が高まってしまった。

 

その不安に輪をかけたのが、看護師の次の言葉。

「こういうご時世ですので、手術の説明や手術中の待合室での滞在も1人でお願いします。」

 

え?たった1人で待機しなければならぬのですか?

しかも、結構大きい手術でしたよね?

万が一何かあったら・・・・・・ないと思うけど、私は的確な判断ができるのでしょうか?

 

 

1か月前の告知の時に医師は、執刀医はベテランの方なので心配はないという表現だったが、やはり絶対はないのでということをおっしゃっていた。

 

 

「どうしても1人ですか?」「説明を1人で聞いても、私だけでは不安なのですが~。」

必死に看護師に話した。

「そういわれても、他のご家族はみんな1人だけなので、例外はゆるされません。」

病棟ルールは絶対なのだ。そうでなければ、他の患者に迷惑がかかる。

でも、この1か月「自主隔離」を続けてきた私たち。

近隣にも1人も感染者はで出ていない。なんとかならないのだろうかと思ったのも事実だ。

 

  手術の説明は最悪を想定して

少しして、ICU担当の看護師が顔合せに来た。

手術後はICUに入るので、術後に1度顔を見たら、その後は一切面会はできないと言われた。

しばらく、あ~やに会えないのか(泣)。もちろん、テレビ電話はないらしい。

コロナめ~!

 

そして次の言葉に驚く。

「手術はご家族で待てるよう、手配していますので。」

と言った。

 

えー----?いいの?あれだけ確認してもダメでしたよ?

「いえ、あ~やちゃんの場合はお二人で待機してもらわないと困るので。」

 

は・・・・・い。

 

よくよく聞くと、医師の説明も手術も大きな手術の場合は、両親で待機してもらうことが病院としても必要なことだったらしい。

病棟の看護師の話は、あくまでも一般病棟のルールだったようだ。

実はコロナ禍で大きな手術は延期してもらっている状況なので、"特例"だったことが病棟に伝わっていなかったらしい。

 

それにしても、連携とれなさすぎではないか?

確かに、ばたばたと電話で決まった手術だけど。

しかも入院準備もネットで調べるしか方法がなくて、ミルク一式持ってきたのに持ち込み禁止だったという。早く教えてくれ~だ。

 

 

愚痴はまだまだあったが、とりあえず手術の説明を夫と2人で聞いた。

 

あ~やの弁形成術にするかは、胸を開いてみないと分からないということだった。

もしも弁形成ができない場合は「人工弁」に切り替えざるを得ないという。

それは仕方がないけど。

 

一番怖かったのは、

一度心臓を止めて(人工心肺装置)弁形成をした後に逆流量をチェックするので、

もしそれでうまくいかなければ、再度心臓を止めるという話。

そして人工心肺装置を使える時間にはタイムリミットがあって、あ~やの場合は3時間程度だそう。

それ以上は心臓を止められないので、最悪は途中で閉じるということだった。

 

そんなに止めても大丈夫なのか?と思うが、それしか方法がないので、お願いするしかない。


血の気が引くような気分だった。

医師は最悪のことを想定して話す。それは責任というもの。

1人で聞いていたら「やめます」ってなっていたかと思うと、恐ろしい。

サインは夫に書いてもらった。 


説明を聞き終えた夫は、もう接触させてもらえないあ~やを遠目で見て手を振るだけ。

そしてそのまま、おねねの待つ家へ帰ってもらった。明日は早朝に家を出て手術に間に合うように来てもらう。(むしろ運転中が気晴らしになったと後から聞いた。)

 


 

  あ~やと過ごす夜

20時、病室の消灯時間となった。

それ以降は水しか飲めないということで、直前にミルクを飲ませた。満腹になったあ~やは、いつも通りにすやすやと寝息を立て始めた。


一向に眠れない私。

寝顔を見ていたら、急に泣きたくなった。

どうして(誰のせいでもないけど)こんな体に産んでしまったんだ。

ごめんね。

ごめんね。

代わってあげられなくて、ごめんね。

 

同時に、今日1日の不満や不安があふれ出てきて、もう涙を止めることが出来なかった。いつの間にか嗚咽を上げて泣き出してしまっていた。

看護師さんが駆けつけて、落ち着くまで背中をさすってくれた。あ~やは全く起きずにすやすやと寝ていてくれたことが救いだった。

全く手のかかる母だ(反省)。


カーテン越しに聞こえているだろう他の患者さんたちに申し訳ない気持ちだったが、だれも何も言わずにそっとしておいてくれた。



そして、静かに夜は過ぎていった。

 

寝返りを打つあ~やに何度も起こされながら、

「手術は成功するんだ。」と、心の中で自分に言い聞かせていた。

 

つづく。