1995年1月17日。

今からちょうど15年前、あの阪神大震災が起こった日である。

AM5時46分、凄まじい音がした。そして、激しい揺れと共になにもかもを奪っていった。

大好きな神戸を中心とした街ごと…

実際、自分自身は神戸から離れた場所住んでいるために、大した被害は無かった。

後でわかったことであるが、まわりの友人は何もかも失っているものもいた。

家族の命さえも…

街は確かに元通りになっているが、震災を経験した人の記憶は元通りにはならない。

地震から数時間後、TVで報道されていたが、友人、知人、大切なひと…みんな消息がわからない。

全く情報がないのだ。

数日経ち、いたたまれず原付で神戸方面へ向かった。しかし、至るところ交通規制で断念した。

何人かは、消息が判明し安心したが、ある大切なひとは連絡つかないままだった。








もう一生会えないかもしれない…







この言葉が頭をよぎってしまった。

地震から一週間たった頃、再度原付で神戸まで向かった。

建物が倒壊、地面が歪み、交通手段は全くといっていいほど何も機能しない。

また、行く先々で異臭がする。焦げた臭い、ガスの臭い、まだ燃えているところも多くあった。

正に地獄絵図、戦争中爆撃を受けた後のようだった。

あるマンションにたどりついた。RC構造のマンションは建物自体何ともなっていない。

まずは一安心。

ただ、外観からベランダをみると気配はない。

オートロックの門は停電しているため、開けっ放しになっていた。

家の前まで着いたとき、泣き崩れてしまった。





学校にいます。1/19






1枚の小さなメモが玄関に貼ってあった。

どのくらいの時間そこにいたかわからない。

ただ、ただ、よかった。



15年経過した現在でも、鮮明に思い出す。

もう2度とこんな経験はしたくない。