昨日で1年。

長い様で、ホントあっという間に過ぎ去った1年でした。

あの日の事は今でも鮮明に覚えてます。

1年前、検査薬で妊娠の反応はあったけど、胎嚢や心拍が確認できる週数まで産婦人科に行くのは待ってたあたし。

次の日は土曜日なので旦那ちゃんと産婦人科に行くつもりでした。

軽いけれども悪阻真っ只中だったあの日。

ホントは友達と会う約束をしてました。
でも、体調が良くないから延期してもらってて。。
今考えると、会ってなくて良かった。。
会ってたら帰るの大変になってただろうし。

妊婦特有?なのかわかんないけど、これ食べたい!!!って思ったら絶対食べないと気がすまなかったあの日はどうしてもパンが食べたくて。
でもパン買ってなかったから買い物がてらパンを買いに行く途中であの地震。

信号待ちしてた車がやけに揺れる。

お店のドアがバタバタしてる。

最初は「随分強い風だなー」って思った直後、お店から逃げ出す人達の姿。

ハザード出して止まる車。

気付けば停電で信号も消えてた。。

急いで家に戻ったけど、交差点は大渋滞。

でもね、みんなちゃんと譲り合いしてたよ。
何か嬉しかった。

旦那ちゃんからあった着信に気付かなくて、折り返しても繋がらない。
メールもなかなか送れない。
家に戻ったら棚から物が落ちてた。
余震も続いた。
怖くて泣いてた。。
旦那ちゃんが外回りの途中で帰ってきてくれて、顔見たら安心して号泣。。

生まれて初めて体験する震度5の地震でした。

電気も使えず、雪で寒かったあの日。
余震も続いてたし、怖くて布団に入ってもほとんど寝れなかった。

長い夜だったなぁ。。。

朝になって、電気が復旧したのは8時半位だったかなぁー。
テレビ付けて、旦那ちゃんと2人で放心状態になりました。

岩手も宮城も福島も、同じ東北だし行ったことある地名がテレビからいっぱい聞こえてきて、涙が溢れてきました。

同じ東北なのに、何も被害が無かったことが悔しくて悔しくて。。
妊娠してなかったら、ボランティア行きたかったなぁー。

産婦人科に行ったのは地震の2日後。
無事に胎嚢と心拍の確認ができて、あたしはこの命を何があっても守ろうと思いました。

食料やガソリン等、普通の暮らしに戻るまでは大変だったけど、悪阻と戦いながら頑張りました。

そんな大震災のあった年に生まれた我が子。
本当に、命の大切さを改めて感じさせてもらえました。
大きくなったらあの日の事をしっかり教えてあげなきゃ。
絶対忘れないから。

改めて、東日本大震災の犠牲になったたくさんの方々のご冥福をお祈りいたします。




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