こんばんはクローバー

Masakoさんのブログ
「被災地へ医療チームとして出向いた看護婦さんのブログ」

で紹介されてた記事ですが

被災地で医療チームとして救護活動された
看護師さんのブログを転載させてもらいました。

ニュースで伝わってない悲惨で過酷な現場と向き合い
医療活動に当たられた8日間の日々の記録が懸命に
書かれています。

           こちら
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

時間の許される方は是非、
上記ブログで全記事を拝見されてみてくださいね!


以下<記事の一部転載>

3、赤い旗
        2011-03-23 16:51:26 |皆様へ

陸前高田に降り立ったときの印象はぬかるんだ
地面と瓦礫の山。

津波の被害で壊滅的の場所です。
本当に何もなくて
残っている建物も廃墟と化していました。

5階建てマンションの5階にまで泥や船の備品が 
突き刺さっていて何度も目を疑いました。



何の匂いだろう?
焦げ臭い匂いがつーんと鼻に抜けていきました。


あとすごく静かでした。
報道のヘリや自衛隊のヘリが上空を旋回している
音だけが響いている感じ。




雪が瓦礫の山に積もっていて、ずっとしんしんと降って
いたけど寒いという感覚よりも恐怖のほうが強かったです。
足が震えていたのは寒さでなく恐怖でだったと思います。




一分間黙祷をしながら
もっと早く来るべきだったと思いました。


避難所や病院に行く前に
ざっと市内を案内される。





ここは商店街でした、
ここは郵便局だよ、
ここはおいしいラーメン屋、
ここは公民館、
ここは幼稚園、、、



ただの瓦礫の山。



15mくらいの真っ黒な津波が往復して全てを
飲み込んでいったとのこと。
避難勧告が出て準備をしていたり、
逃げる最中にみんな流されて行って
誰かのせいにすれば少しは矛先が出来て醜い感情を
出せるけど、天災だから怒りの持って行き場がないと
言っていました。



年に数回海を敬うお祀りもあっていつも海に感謝をして
暮らしていたんだよ、それなのに・・・と
現地の人は案内しながら涙を流していました。

もうこの時点で私も泣きそうだったけど、
絶対泣かない約束だったから
現実から目を背けて曇った空ばかり見ていました。


案内する人の後ろをずっと手をグーにして肩をすくめて
ついていきました。



風が吹くとどこからか
セピア色の写真や赤ちゃんの写真付きの年賀状が
足元に飛ばされてくる。



そして一歩二歩歩くごとに赤い旗がヒラヒラ揺らいでいる。
しかも数えきれないおびただしい数の旗。





「この赤い旗は遺体が見つかった場所に立てられています」




正直つらかったです。





ある旗の前に佇んでいるお婆さん。
私のお婆さんと同じくらいの年だったかな?



「東京の看護婦さん、
 ここにおじいちゃんが戦後一生懸命働いて建てた
 おうちがあったんだよ、
 おじいちゃん病気ひとつしなかったのに死んじゃったよ」


人間の感情があるから泣くなと言われても無理でした。



リーダーナースが飛んで来て私の耳を引っ張って
車の陰に連れて行かれて、すっごくおこられました。
怒られようがもう自分は素直な感情で
ここでやっていこうと思いました。



テレビで映されているのは報道規制のなかの
範囲内でそれでもあの映像。


映されない、テレビで流せない現状を
この目で見てきましたがそれはもう地獄でした。

案内されている隣で
自衛隊の方が瓦礫や木材をどかすと
泥だらけになった遺体が必ず出てきて。

この光景は一生忘れないし
忘れてはいけないと思う。

瓦礫や木材と言っても数日前は誰かの生活の一部だった
家や道具や誰かの宝物です。

その下から続々見つかる遺体。


そのたびに手を合わせる自衛隊の方々。
そして偶然居合わせてしまった私たちも合掌しました。






初日はあわただしく避難所をまわってお年寄りの
血圧測定と健康相談でした。

無我夢中で多分、私に笑顔はなかったんじゃないかな。
高齢者が多いな、という印象でした。


電気が復旧していないので暗くなる前までに1人でも多く
血圧を測ってあげたくて本当に無我夢中でした。


脈をとっていると私の手を握り返してきて

「孫と同じくらいだな、看護婦さん。
 あったかい手だねぇ」

とそのまましばらく目を閉じているお婆さん。



両手を合わせて拝んで
何回も何回もお礼を言うおじいさん。


寝たきりなのに飛びきりの笑顔を見せて
起き上がろうとするおじいさん。


美味しそうに小さなおにぎりを食べる子供たち。


毛布に包まって眠る赤ちゃん。





健康相談では「体育館では眠れないよ」
「親類と連絡がとれなくて眠れない」
と眠れない訴えが多く
血圧も高めなかたがたくさんでした。



すっかり暗くなる頃には
私の腕が上がらなくなっていました。



10数ヶ所の避難所、
それでもまだまだたくさんまわれなかった
避難所と救護所だらけでした。



あとから聞いたのですが
私は初日だけでも数百人の血圧を測ったらしい。



でも全然足りないくらい、
測ってあげられなかったお年寄りのほうが
断然多かったです。



気付けば朝トイレに行ったきり夜更けになっていました。



反省会や明日以降の予定のミーティングを終え、
移動の疲れや現地を目にしたショックと
避難所まわりであっという間で忙しく過ぎた1日でした。




避難所だってぎゅうぎゅうで
もちろん私たちは寝る場所もなく
初日の夜は遺体安置所のわきの簡易プレハブに
男女関係なく雑魚寝。




疲れているのに眠れるわけがなく、
持ってきたiPodを聞きながら友達と撮った写真を見たり
圏外のままの携帯にこの文章をずっと打っていたり
友達がくれたメールを読み直して
1日泣くのを我慢していたのでバスタオルに包まって
ずっと朝まで泣いていました。




7、瑠奈チャン
2011-03-23 16:49:59 |皆様へ

寝泊まりをした体育館で
たった三日間でかわいいお友達が出来ました。
血圧測定や点滴に走り回る私のあとを小走りについてくる

人懐っこい6歳のかわいい女の子、瑠奈チャン。


マスクが大嫌いな子だったので
マスクに全然似てないキティちゃんを書いてあげたら
気に入ってくれたのがきっかけだったのかな。



夜の体育館は本当に寒いので頼るのは薄い毛布と人肌。



私の医療チームは男ばっかりだから人肌に頼ることも出来ず
毎日入り口付近ですきま風と戦っていました。

電気が復旧していなかった広い体育館は例えるなら
洞窟みたいでした。
ストーブも消され冷えきった真っ暗な空間。
頻繁な余震。




1人だったらどんなに怖くて心細いか。
たくさんの避難されているかたが集まっているから
こんな暗闇でも朝を待つ気力に変えられるのだろうと
心底思いました。


真っ暗な夜中の体育館の
寝息の中に
もちろんすすり泣きの声も聞こえています。




不安なのかな、
家族や友達と会えていないのかな、
考え出すときりがないし
私は1週間程度だけど
ここにいるみんなはこれがいつまで続くんだろうと
思うと暗闇の体育館は洞窟どころか
出口の見えないトンネルのようにも思えました。




寒くて眠れないけど、そろそろ寝ないと
不眠不休で倒れてしまいそう
ここで倒れて足手まといになったら来た意味がないと
寝返りをうっていたら
瑠奈チャンが「お姉ちゃん!」とどこからか毛布を持って
やってきてぴったり横にくっついてきました。


「瑠奈チャンも眠れないの?」
と聞いたら元気よく頷いていたので
抱き寄せるとめちゃめちゃあったかい瑠奈チャン。




「お姉ちゃん、好きな人いる?」
と瑠奈チャンに聞かれたので
「いるよ!」と言ったら

「どんな人?」って(´`)


「おヒゲがはえてる人だよ(笑)」と
分かりやすいように教えてあげたら

「サンタさん??」と。


かわいいなぁと思いながら
「そうだね、サンタさんみたいな人だね」
と頭をなでなでしながら話すと


「また冬になったらサンタさん来てくれるかな?」
とニコニコした笑顔。


やっと笑顔が見れて嬉しくなって
「瑠奈チャンいい子だからまたサンタさん来てくれるよ!」
と言ってしまった私。



でも
「瑠奈チャンね、おうちなくなっちゃったけど
 サンタさん、瑠奈チャンちがないからプレゼント
 持って帰ってしまわないように
 お姉ちゃんから言っておいて」
と言われて、ごめんねって思いながら
ぎゅっと抱き締めてしまいました・・・



「瑠奈チャン、なにが欲しい?」の私の質問に

「おうちとママ」



いつも一緒にいるのが母親かと思っていたけど
次の日、それは叔母さんということが分かりました。




瑠奈チャンのお母さんも被災され、
あんなにかわいい瑠奈チャンを残して
瓦礫の下から変わり果てた姿で見つかったそうです。
瑠奈チャンは幼稚園にいて救出されたけど
お母さんは瑠奈チャンが大事にしていたお人形や
絵本の入ったリュックを抱えて亡くなっていたそうです。




まだまだ小さな瑠奈チャンはお母さんが恋しくて
いつも私にくっついて寝ていたのかな。



別の避難所と救護所に移動のために
いつも寝ていた体育館を去るとき
瑠奈チャンが私と別れることに対して
声をあげて泣いていました。




お母さんと悲しい別れをしたばかりなのに、
傷は癒えてないのに、また
別の形だけど人と別れる悲しみを味わせてしまった・・・



また会おうって言っても
お手紙を書きたくてももう瑠奈チャンには住所がない



でも、きっとまた復興したら必ず会いに行く約束をして
体育館を離れました。


この震災を忘れずに
強くて優しい女性になってほしい。
どうかこれから進む道が明るくて幸せであるように。



リーダーナースとの泣かない約束はあっけなく破られ
手を振る瑠奈チャンを見ながら、
車の中でずっと泣いていました。




なんでこんなことになったんだろうと
悔しさをどこにぶつけていいか分からず
次の支援施設、救急病院へ向かいました。



みんなに笑顔と元気を届けに来たのに、
瑠奈チャンを泣かせてしまって。



私のここにいる意味は何だろうとも思っていました。


以上<記事一部転載>


 
      最後までお付き合い頂き
      ありがとうございます。Thank you