「農」という種から | ~Fortune Creation〜運命を創造する〜 あなたという存在の深みへの旅 生き方が変わるタロットという哲学〜

~Fortune Creation〜運命を創造する〜 あなたという存在の深みへの旅 生き方が変わるタロットという哲学〜

意識のしくみ、人間と宇宙との関係、自然の法則、現実とリアル「わたし」という存在を紐解くタロットの哲学。
人類の軌跡とその智慧の結晶DNAに眠るそれらの大いなる秘密を紐解き、運命を創造する力を取り戻す〜

今の私の生活や言葉を聞いて、
多くの人は元々私が農や植物、自然という世界に
深くコミットして生きて来ていたのだろうと想像されるようだ

しかし、
それは大きな間違い。

実は私はそのような人間では全くなかった。
少なくとも4~5年前までは。
ファッション業界という
有る意味、虚飾と消費の世界で長く生きていたこともあって、
美しさは豪華さであり、
豊かさの意味は、消費出来る力に等しかった。

そんな世界から、
一つの分かれ道に立ったのは、民族音楽に出会ってからだ。
ファッション業界から退いて、
貧しいとされる様々な国の音楽に触れ、
言葉に出来ない多くの感動を体験した。

今振り返ると更に大きな転機となったのは、
結婚して子供を産み、
自身が次世代に繋がる種を地上に蒔いたあとだろう。
離婚して、一階の小さな庭付きのマンションに子供達と住み始めた頃から
それはゆっくりと大きな変化をし始めた。

ある朝目覚める時、
「フラワーエッセンス」というメッセージを受け取った。
それからのFESのフラワーエッセンスにのめり込み、
少しずつ、
自分の中で「植物」という世界が
急激に親しいものとなっていった。
それまで、物質で有った花達が、
エネルギーと感情を持つ、豊かな人格を備えた友人となって
私の人生に寄り添ってくれるようになったのだ。

庭は少しずつ花で満たされて行くようになり、
生ゴミはお庭に埋めて有機肥料にした。

そのコンポストから、
思いがけなくカボチャの芽が出て、花が咲き、
なんとうれしい!美味しいカボチャがこんなところで採れるとは!
と喜んだのも束の間で、
次々に咲く花はいくら受粉をしても実にならなかった。
同じように、コンポストから育ったトマトも
たくさんの花を付けたけれど、一粒も実にならなかったのだ。
小さな失望感と、大きな疑問が私の中にわき上がった。
小学校の時に学んだ記憶では、
種は花を付け、やがて実となり、再び種を付けるという当たり前の知識。
そんな当たり前の事が、
この小さな庭でもかなわないなんて。
私の中の小さなチャイルドは、
学んだそれが正しいのか正しくないのか、
小さな疑問を問いかけ続けていた。

その数日後、
あるNGOの団体が多摩川土手でBBQと太極拳で集まるからおいでと
友人から誘いを受けた。
近所だし、太極拳面白そう!と、
子供達と自転車で駆けつけた所で初めて出会ったのが
NGO大森林だった。
そこでは、BBQや太極拳に合わせて、粘土団子ワークショップというのが行われていた。
植物やお野菜の種を粘土団子にする。
緑地運動にも非常に効果を出すというその話の中で
初めて聞いた言葉が「固定種・原種・在来種」
そして「F1種」というものだった。
それで、すべて家の庭でのことが明確になった。
その時、強く「農」というキーワードが
私の中のパズルにガッツリと埋め込められたのだった。

種まきに行ったり、田植えしたり、稲刈りしたり、
皆で収穫野菜を料理して食べて遊んで音楽して
NGO大森林で大家族のように過ごした日々は
今も温かく心に宿っている。

「農」というイメージは
以前の私なら「大変そう」なものが先行していたが、
大森林では自然農という形で
とらわれの無い、自然と共生しながら農をするという視点に
目からウロコの目覚めが多くあった。

それからは私の中で「農」はとても自然な、
そして豊かな、宇宙の営みを体験する恵みとなった。

夏にお会いしたてんつくマンも
ある時から「農」というキーワードが離れなくなったという。
彼の著作の中で、
「ある日突然、神様が、
空から農という種を蒔いたんだと思うんです。」
と書かれていた。
そう、まさしく私もその種が当たったその一人。
そして、私の彼もそうだろう。

人類はFESのメタフローラのレベル8へ移行して来ている。
闇を超え、時間軸を超え、
やがて地球という意識と共に
宇宙と一つになるサイクルの始まり。
肉体や、感情、知性、使命、パートナーシップ、
あらゆる個人のテーマに向き合い、
それを統合してきた魂は
次なる大きなシフトをする段階へと。


野津町に移住して半年。
春は種まきもおぼつかなかったが、
この秋は少しづつお野菜に加えて花達やハーブも植えようと思う。

地元の方々は口を揃えて言う。
「ここは田舎。なんにもないでしょう?」

でも、
私にとっては、
この古いボロボロの古民家も
まだまだ手入れも行き届いていない畑や庭も
見渡す限りの豊かな自然も
大きな大きな宝の山だ。

宝箱を与えられた子供のような心になって
今、私は毎日を愛おしく奮闘している。


・:*:`・いつも読んで下さってありがとうございます・:*:`・
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ
にほんブログ村