英語の検定といえばTOEIC.
験を担ぐわけではないが、なぜかTOEICにはほぼ軽食で臨む。実際のところ「メシを食うほど余裕を持って試験会場に行けない」のである。「バナナ一本食べてコーヒー牛乳飲んでりゃ・・・」これがいけないのである。こんなんで果たしてノーミソが健全に働くのであろうか?
そして試験集合時刻ギリギリに到着。というのも方程式。クルーンみたいならいいがこの方程式は巨人の中継ぎ並に脆弱である。ちなみに今日は遅れた(10分)。2年ぶり2度目である。こういう日はこういう日でスコアが・・・という怪しいジンクスとは裏腹にテンションはかなりLOW。というのも前日は4時ぐらいまで起きていて、「最終チェックでも」ということで(っていうかこの日初めてややまともにした)リスニングを30問ほど解いたものの間違いが散見され不安な直前対策に。
身分証明として今までパスポートを持っていっており、非常にかさばっていたが今回は免許証のおかげでそんなこともなかった。で、毎回思うのが試験における「ストレス」である。問題を解いているうちに胃のあたりがキリキリすることが多く、今回は「ノンストレス」を目指した。「やる気ゼロ」では「ボーっとする」分ストレスになるのでそこそこのクールさが要求される。
しかし、聴けたのだ、わかったのだ、マークできたのだ、少なくとも前回よりは。最初の写真の問題は9割がた「ナメとんのカイワレーっ」というノリでいけるものの、その後の80問がシルクロードのごとく長い。ここで集中力を欠くと後はガンガン打ち込まれ、気づけば防御率13.50。今日は違った。何かが違った。おそらくまわりもできている(笑)。しかし聴き取りがまあまあだと読みが崩れる傾向にあるのも怖いところである。バランスが大切である。しかし普段より「読み」は本業で触れているからであろうか、今までにない「キレ」が見られたので次回が楽しみ。
ひとつ気になるのが前回よりも受験者の位置を表すパーセンテージが上がっていてもスコアアップとの相関性がないことである。パーセンテージが上がっていてもスコアが下がっているということもあり送られてくる認定書を見て叫ぶこと数回。今回もその悲劇を味わうのだろうか?それは来月のお楽しみ。
験を担ぐわけではないが、なぜかTOEICにはほぼ軽食で臨む。実際のところ「メシを食うほど余裕を持って試験会場に行けない」のである。「バナナ一本食べてコーヒー牛乳飲んでりゃ・・・」これがいけないのである。こんなんで果たしてノーミソが健全に働くのであろうか?
そして試験集合時刻ギリギリに到着。というのも方程式。クルーンみたいならいいがこの方程式は巨人の中継ぎ並に脆弱である。ちなみに今日は遅れた(10分)。2年ぶり2度目である。こういう日はこういう日でスコアが・・・という怪しいジンクスとは裏腹にテンションはかなりLOW。というのも前日は4時ぐらいまで起きていて、「最終チェックでも」ということで(っていうかこの日初めてややまともにした)リスニングを30問ほど解いたものの間違いが散見され不安な直前対策に。
身分証明として今までパスポートを持っていっており、非常にかさばっていたが今回は免許証のおかげでそんなこともなかった。で、毎回思うのが試験における「ストレス」である。問題を解いているうちに胃のあたりがキリキリすることが多く、今回は「ノンストレス」を目指した。「やる気ゼロ」では「ボーっとする」分ストレスになるのでそこそこのクールさが要求される。
しかし、聴けたのだ、わかったのだ、マークできたのだ、少なくとも前回よりは。最初の写真の問題は9割がた「ナメとんのカイワレーっ」というノリでいけるものの、その後の80問がシルクロードのごとく長い。ここで集中力を欠くと後はガンガン打ち込まれ、気づけば防御率13.50。今日は違った。何かが違った。おそらくまわりもできている(笑)。しかし聴き取りがまあまあだと読みが崩れる傾向にあるのも怖いところである。バランスが大切である。しかし普段より「読み」は本業で触れているからであろうか、今までにない「キレ」が見られたので次回が楽しみ。
ひとつ気になるのが前回よりも受験者の位置を表すパーセンテージが上がっていてもスコアアップとの相関性がないことである。パーセンテージが上がっていてもスコアが下がっているということもあり送られてくる認定書を見て叫ぶこと数回。今回もその悲劇を味わうのだろうか?それは来月のお楽しみ。