もうすぐ、私のたいせつで大好きな可愛いハムスター、ちょびのすけの命日。
あれからもう、一年が経ったなんて。
たまに、このブログを遡って、ちょびのすけとの暮らしを振りかえることがあります。
ちょびのすけの挙動に一喜一憂忙しくて、そしてふたりで生きた素晴らしい日々が綴られていて、私にとって宝物みたいな日々があったこと、ここに書いておいて本当に良かったなって思いながら読み返しています。
私は結局子どもを産まない人生だったけれど、ちょびのすけは私にとっては息子みたいな存在で。
私はハムスターになった気持ちで彼を育てて、そして彼に育ててもらったように思います。
よくこうして、手に乗ってきてくれました^^
あの頃書いたブログがあります。
私には子どもの頃に思い込んでしまった、「小さな命を育てられない」というセルフイメージがあって、それが怖くて結婚して子どもを産むことがどうしても出来ませんでした。
だから、ペットを飼うなんてそんな恐ろしいことも出来るはずがなくて。それでも、ちょびのすけの事をおっかなびっくり精一杯育てました。
本当は、私だってこんなセルフイメージさえなければ。
こんなにも小さな存在に愛情を注いで、大切に育てて愛の循環をするような人生を歩みたかったんだなって、ちょびのすけのおかげでようやく気が付きました。
先日、近所のカフェにランチをしに行った時、隣のテーブルに赤ちゃん連れのママが来ました。
ベビーカーの中で最初大人しくしていたその赤ちゃんは、ママの食事が来たくらいにぐずりだし、ママは膝の上に赤ちゃんを乗せてご飯を食べていました。
思い切ってママに話しかけてみました。
4ヶ月の女の子とのこと。
本当は、ママがご飯を食べている間、かわりに抱っこしていてあげたいと思いました。
だけど、私には、「赤ちゃんを石像に変える妖怪」というセルフイメージがあるんです。
赤ちゃんの抱っこの仕方がわからないから、めちゃくちゃ緊張しながら抱っこするせいで、友達の赤ちゃんも従兄の赤ちゃんも、もれなく石像にしてきた歴史があります。
だからどうしても、抱っこさせてもらう勇気が出せなくて。
隣の席から声をかけてあやしてみるのが精一杯。
そうこうしているうちに、店内にいた他のお客さんグループが、赤ちゃんに気がついて抱っこしにきました。
そして、ママ経験者風に手慣れた感じで赤ちゃんを抱っこするその人たちに、代わる代わる抱っこされているうちに、とうとう赤ちゃんが泣きだしました。
子育て経験者の人たちが抱っこしても、赤ちゃんは泣いちゃうんだ。
ママの膝の上で落ち着いた赤ちゃん。
私は勇気をだして、ママに自分が子育て未経験で抱っこの仕方がわからないことを告白した上で、
「抱っこさせていただいてもいいですか?」
と尋ねてみました。
「もちろんです^^」
ママは快諾してくださり、私は恐る恐る赤ちゃんを抱っこして・・・
赤ちゃんが、泣きました( ̄▽ ̄;)
そうです。
私はついに、赤ちゃんを石像にする妖怪ではなくなっていました。・゜・(ノД`)・゜・。
脱妖怪。
そのママと赤ちゃんには、もう山のような感謝でいっぱいです。
私、ついに妖怪やめられました。・゜・(ノД`)・゜・。
慌てて赤ちゃんをママにお返ししましたが、赤ちゃんの密度の濃さにとてもびっくりしました。
身体は小さくて軽いけれど、濃密でギュッと濃厚で。
もちろん、感覚的なことなのですが、きっと「エネルギーが濃い」と表現するのが一番近いのかもしれません。
大人になると、どんどんスカスカになっていくような気さえします。
本当は、人間は年齢を重ねて成長してゆくのではなくて、元々持っていたエネルギーを使い果たしながら年齢を重ねてゆくのかもしれないなって、そんなことすら感じたのです。
であるならば。
大人の浅知恵よりもうんと力強いのが赤ちゃんやちいさな子どもで。
人間の浅知恵よりもうんと真理を理解しているのが、動物や植物たちなのかも。
そんなとりとめのないことを思いながら。
久しぶりにブログを書いてみました。