我が家のキンクマハムスター、ちょびのすけ。
昨日は、完全に変なスイッチが入ってました。
ちょびのすけが、プチプチ音をさせながら寝ています。
呼吸が苦しいのかな。
動くのもつらいのかな。
私の駄目な点を数えて、ずっと自分を罰し続けていました。
私のあれが悪かった。
至らなかった。
素人だった。
駄目だった、駄目だった。
駄目だった。
これは、子どもの頃に握ってしまった、苦しい思いグセ。
そして、そんな自分がつらすぎたから、自分は素晴らしいことにして誤魔化していた。
不自由だった私の癖が、全開になってしまった。
眠るちょびのすけを前にして、何もできずに呆然としている自分が情けなくて、母に対してもそうだったことを思い出して、とうとう夜泣き出してしまいました。
それを友だちに話して、
浮かび上がってきたのは、
私が余計なことをしたから。
私が生まれてきたせいで。
そんな思いでした。
小さな子どもの頃に、ぎゅっと握りしめていたつらい気持ちを、目の前のちょびのすけに投影して、おかしくなっていました。
もちろん、私のせいで体調を崩した可能性は高い。
だって、私が色々手を出してるから。
だけど、ちょびのすけのことは全て私のせいだとしたら、それはちょびのすけに対する随分と失礼な考えだと思った。
ちょびのすけは無力な存在で、私がすべてコントロールすべきなんだという、とてもとても傲慢な考えだ。
ちょびのすけには、ちょびのすけの生き様がある。
子どもの頃、よくケージから脱走された話なんかを、友だちに聞いてもらいながら。
りんごも渡された分だけ全部食べるわけでもなく、もう要らないと思えば返してくる。
ちょびのすけは、ちゃんと自身の事を解って生きてる。
そのことと、私のエゴで一緒に暮らしてもらっていることと、どう折り合いをつけるのか。
私が手を近づければ、ちょびのすけも顔を近づけてくれる。
そんな信頼関係が築けていることは、等身大のちょびのすけを見ていれば、しっかりわかることで。
そこに私は、自分が元々持っている不安や恐怖を乗せて見ていたんだなと。
そのことに思い至ったら、まるで洗脳が解けたときみたいに頭が痛くなって。
今朝見たら、トイレ砂は使われていませんでした。
いつも夜中に一度はおちっこをしたあとがあるのを、毎朝確認してたので、トイレに行けなかったかおちっこが出なかったか。
もしもお水を飲めていないなら、脱水になると思い、ちょびのすけが少し身じろぎしたタイミングで、声をかけて起こして、ブルーベリーとりんごの欠片を渡しました。
ちょびのすけは、ブルーベリーをすぐに受け取って、夢中で食べていました。
一粒の、種と皮以外の実の部分を3欠片。
すべて食べ終えて、人参を渡しても食べなかったので、りんごを小さく切って渡したら、半分食べました。
果物は、美味しいもんね(*´ω`*)
食べてまた、かまくらに潜り込んで寝ていましたが、
その後、ケージからカリカリとペレットをかじる音がしたので、少し安心して。
果物で水分補給しながら、ゆっくり睡眠をとって。
ちょびのすけが、心地良いと思えるように過ごしてくれたら、幸せだなあ。