私の母は毒親の気がある。

拗らせ女 コジミ。




母を受け入れ、真の自由を獲得していくために

人生の振り返りを書いていこうと思います。



私の小学生編くもり




コジミはコントロールしたがりで、相手が思い通りに動いてくれないとヒステリックに声を荒げて指示を出す。



父と私は似ていて、のんびりマイペース。

よく2人でヒステリックを食らっていた。



そんな圧力が嫌で私もムキになって言い返し、コジミの私物を蹴飛ばしたりやり返していた。

こんな生活、世界から自由になりたいと何度も思っていた。



小学校高学年にもなると、コジミがぐぅの音も出ない論破を展開できるようにもなった。

今、頭の回転が早いと言われるのは彼女のおかげかもしれない。

ちなみに、こんな声を荒げながら論破する姿は当時、家族以外誰も知らない🌚




あの出来事がよぎると

デブでブスで性根の腐ったしょーもない、あの、デブミに今でも腹が立つ。


悪口の噂しか聞いたことがない、価値皆無のあんな女に泣かされたなんて、悔しいのだ。



小5の時に私はいじめにあった。

目の前で、決められた同じグループの人たちに悪口を言われたり、無視されたり、ハブられたり。



親に打ち明けるのにも時間がかかった。

愛情をかけてもらっているのに、いじめられるような、弱い子と思わせるのが申し訳なくて。



ある日曜日の夕食時

遂に、どうしても月曜日に学校へ行くのが辛くて両親に相談した。


担任の先生にいじめ側に注意をしてもらいたいこと、早めに席替えをして欲しいことをどう伝えるか母と練った。

もう5年生にもなって、親に先生に言ってもらうのはなんとなく恥ずかしかったから、自分で言うことにしたのだ。



カンペまで用意をして、先生には伝えたいことを全て話し、近日中に席替えも了承してもらった。



先生に伝えたその日、事の終始を母に伝えた。

話の最後に母は

「デブミちゃんは吹奏楽で上の子にいじめられてるみたで悩んでるみたいなんだって。」

と私に言った。


「どう言う意味⁇」

「大目に見てやりなよって事。」


耳を疑った。

何ヵ月も私は一人で悩んでいた。

やっとのことで伝えた私の気持ちなんかおざなりにされた気がしてすごく悲しかった。


そして裏切られた気分だった。

家族だよ?お前母親だろ?フツー、味方になるだろーが。


お前の子どもがいじめられてるってさ、何も感じないのかね。



この時、コジミは私からの信頼関係に亀裂が入ったとは気づいていない。

こいつに相談するのはもうやめようと思った。


コジミは結局、母親のくせして私のことを真に何も理解していない。


結局コジミは他人軸なのだ。

あっちこっちいい顔をしてるだけ。


あいつにとってはただの子どものトラブルだったんだろうな。

子どもより外面の方が優先になっている。

父がコジミのことを八方美人といつか言っていたがこのことか。




このいじめを引き起こしたのは私にも非があるかなと思っている。


私はあまり自己開示するのが苦手だ。

いつも周りの出方を様子見ている。



保育所の頃は明るかったとよく周りに言われた。

が、小学校に上がると誰よりも早く大人しくなった。


私は小さい頃から繊細気味で、相手が口にしていない想いがなんとなく分かってしまい、

どう思われるのか心配で自分の考えを伝えるのが怖かったのだ。

常にどう思われているかが気になって気になって心配していた。



だから学校は行きたくなかった。

行きたくない気持ちを殺して行っていた。



そんな繊細で引っ込み思案な私に母はよく

「もっと自分から話に行け」

「話を続けられように話せ」

「もっと強くならなきゃ」と

ダメ出しばかり。

欠点ばかり議題に挙げ、長所はあまり聞いたことが無かった。


「◯◯ちゃんに〜〜と思われてる気がする」と言ったら

「そんなの気のせい!」とバッサリ切られた。



ちなみに、大人になってから霊能師さんに

私は霊感が強く、霊感が強い人は洞察力も強く、相手が何を思っているのかわかってしまう、と教えてもらった。

私のキャッチしていた相手の思っていることは、やっぱり気のせいではなかったのだ。



この女は私の本質を何も理解できていないという想いが積み重なる。




ある日、母子手帳を広げた。

そこには母主観の子育ての想いが書いてある。

やっぱり私のことを見ているようで軸の方は見てないと感じた。


いや、見られないのかも。

そんな能力、持ち合わせて無いのだ。

母は洞察能力が皆無で猪突猛進。


「きっとこう!」と的外れな決めつけをさほどに考えもせず口にする。

その決めつけが当たったためしがほとんどない。



私は軸、本質を理解したいと思っている。

本質を知れば、なぜその行動になるのか、次どんな行動を起こすのか、その人をより理解が出来き、接しやすくなるから。



でも母親だからといって、完璧に子どもを理解出来る必要はないのだ。


コジミは自分の思考で頭がいっぱいで、人を理解する余地が無いのかも。

それが彼女の標準機能。それがコジミらしさなのかも。


叱らない系の本読んでたけど効果無かったし。



ずっと母コジミから繊細なところがダメだと言われ続け、学校でも母からも強い口調で言われると泣くことも多かった。



そんな自分が嫌いだった。


でも、今はその繊細さ、人の想いをキャッチする能力がデザインに活かせているのだと思う。


私は今、新製品のカタチのデザインとUIデザイン(画面のデザイン)を担当している。


会社で同僚が、こんな機能を持たせたいという説明を聞きながら、口頭には出ていない、こうなるともっといいのにな、もキャッチしている。

より良い形にするにはどうしたらいいか、どういう使い方を人はしたがるか、体感で得たことも閃くままに画面デザインに落とし込んでいる。



反論されることが苦手だったが、今は人の想いがわかる分、小さい頃より俯瞰して相手の気持ちを理解することも出来ているように思う。


相手よりワンテンポ遅く、控えめな性格の為、すぐに反論出来ず、相手にクソッタレって思うこともあるけど🌚

もちろん、言うべきところは自分の意見も伝えられている。


繊細で引っ込み思案で、自分の意見が言えなくて

そんなんじゃ社会に出てから大変だ、なんてコジミに言われたけど

必要な経験は必ずするように出来ている。

例え今出来なくても、人生で必要なら出来るように必ずなる。

だから本当は心配なんていらないのだ。




母親から植え付けられた強い世間体と

学校から指導され続けた、周りを見て、集団からはみ出さずに行動せよという教え

きちんとしようとする職人気質な性格

が相まって

小学校卒業する頃には、私は何も出来てない、出来ない子、と責めてばかりの土台が出来上がった。



小学校の卒業式で将来の夢は「海外に留学」と書いた。

日本の人目文化にうんざりしていたからだ。

そんなつまらない世間体から逃げて

もっと自由に自分を表現出来そうな海外に逃げてしまいたかった。



でも、もしあの時、海外に逃げられたとしても

1番開放が必要な、自分責め、「私からの呪縛」からは逃げられなかっただろう。



母親の世間体、人目を気にするクセ

学校からの個性を潰してまで集団に馴染めという教え

を私の中に入れているのは私だから。


その常識に縛り付けて、自由ではないと錯覚していたのは自分だったのだ。




この頃の私の課題は相手の心の動き、考えを体感すること、知ること

自分の気持ちを相手にどう伝えるかの体験期間だったのかもしれない。



そう見ると、人のことをさっぱり理解出来ないコジミは

言わなければわからない、思いっきり感情をぶるける必要のある相手で

良き練習台だったのかもしれない。