
3日目終了~京都に2泊目の☆あやぴ☆デスッ

今月は週末の京都に2泊・・・何故かと言うと、
祇園祭の雰囲気を近くで味わいたかったからなんです

12日(日)は鉾の曳き初めがありました。
蒸し暑い四条通りは、多くの観光客で熱気ムンムンでしたよ~
曳き初めの模様はまた後日載せたいと思います

さて、大田原散策の最後の記事です
黒羽から大田原市街の方へ戻る途中に
道の駅 那須与一の郷があり、寄り道しました


与一さん、弓の名手で、源義経の家来だったんですね~
那須与一伝承館という展示施設があったので入ってみました

残念ながら中は撮影禁止だったので、公式サイトからまた写真をお借りします
[営業時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)]
入館料・使用料:大人(高校生以上)300円・中学生以下 無料 |
http://www.nasuno-yoichi.jp/yoichi/yoichi01.jpg | 屋島の合戦で那須与一が扇の的を射抜いたエピソードを、 映像とからくり人形により再現。 展示室には那須家伝来の宝物をはじめとする貴重な資料を展示。 |
ロボット人形劇で、那須与一が登場する平家物語の一部を紹介しています
屋島とは讃岐の屋島ですよね~
戯曲を混ぜながらの平家物語、ロボットの動き方も面白かったです
道の駅の産直コーナーやお土産物ショップにも入ってみました

与一くん、ぬいぐるみが割りかし可愛い~


こんなゆるキャラさんです
イベントでふなっしーと競演もした事があるそう・・・
栃木の大田原で、まさかこんなこんな歴史的人物の故郷を見つけるなんて!(^Д^)
続いて龍城と呼ばれる大田原城跡を訪れてみました

黒羽城址と同様、天守閣は在りませんが史跡として、いくつかのモニュメントが残っています

本丸跡でしょうか、何故かステージみたいのが在りました
今では公園として市民の方の憩いの場所なんでしょうね~


幾つかのベンチもあって、高台なので、大田原の街並みが若干見えました

大田原城は、天文14年(1545年)大田原資清(すけきよ)によって築城され、町島水口より移り住み、以来明治4年(1871年)の廃藩置県に至る326年間、大田原氏の居城でした。慶長5年(1600年)徳川家康は関ケ原合戦の前、奥羽の情勢からこの地を重視し城の補修を命じました。更に徳川三代将軍家光は、寛永4年(1627年)常時玄米千石を城中に貯蔵させ奥州の鎮護としました。廃藩置県後の明治19年には、長野県渡辺国武(大蔵大臣)の所有になりましたが、昭和12年(1937年)家督を継いだ渡辺千冬(司法大臣)が大田原町に寄贈したのを受けて公園として整備しました。本丸跡は広場になり、春は桜やつつじがみごとです。また、市街や那須連山も眺められます。(公式サイトから)
たぶんココにはこんなことが書かれてるんでしょう~

春は桜祭りが行われるそうですよ~

これはまた来年の春観に行ってみたくなりますよね~(-^〇^-)
さぁ、この後は福島へ向かって千葉に帰るまで、合計300kmは走ったでしょうね~



事故をもう起こさないようにヒヤヒヤです!
これから夏休みも近くなるので、皆様も事故にはお気をつけ下さいね~


訪問遅れてます。ゴメンなさ~い
*リコメはお休みさせて頂いてます。
後ほどの訪問に代えさせて頂きますね~
*blogramに登録しています。
良かったら見てみて下さいね(^^;
ご覧頂いてアリガトウございましたぁ
