
東北出張から帰ってきてから、ダラダラ・ゴロゴロ過ごしてます☆あやぴ☆デス
なので、リコメと訪問が遅れがちゴメンなさい
このまま何処も出掛けないでGW終わるのかなぁ~・・・
皆様は旅行などされてる途中でしょうね~^^
さて、先月のラウンド分まだ残ってますのでサクッと行きたいです。

縮景園へ行ってみました 徒歩で行ける広島市街の随一の庭園です!


何だか奥行きがかなり有りそうなのでワクワクでした(o^^o)

突き当りの清風館
牡丹の鉢が幾つか置かれてました

順路が示されているので、順に廻って行きます

超然居・・・小島に立つ四阿です

ココからの池の景色が素敵デスね~


お花の有る風景も素敵!


ツツジが沢山咲いています

原爆慰霊碑も小さくでしたが有りました。

風化しないように・・・

忘れてはいけない
事ですね~・・・

コチラは夕照庵という茶室

復元でしょうけど、古びた茅葺き屋根が時代を感じますね~


池の全景デス^^
カメさんがニョキニョキ~~っと・・・


微動だにも致しません
作り物かと思ったくらい
(・∀・)
ここからは牡丹園に咲いていたキレイなお花をご覧下さ~い



牡丹の他にも石楠花やハナズオウも満開でしたぁ~





一番綺麗だった
この一輪・・・
麗しいってこの花の為にあるのかなぁ~
なんちって

今もまだ観られるかも
しれないですね~
コチラも可愛い
ピンク色!^^

八重桜も
少しですけど見頃でした


一箇所だけど、枝垂れ桜が見事!
綺麗~


運が良ければ
にゃんこと戯れることも出来そうです(^ω^)


今は菖蒲と水蓮が見頃かもしれないですね~
たくさんの花が観られて、とても癒されました。
広島駅近郊にこんな庭園が在ったなんて今回初めて知りましたよ~

縮景園の歴史(サイトから)
縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、元和(げんな)6年(1620)から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇である。
園の名称は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。 園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっている。
この種の庭園は、回遊式庭園と称され、室町時代にその萌芽(ほうが)がみられ、江戸時代初期に最盛期を迎えた形式で諸大名の大庭園の多くはこれに属する。
池の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築きなおさせたものといわれ、東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の 千歳橋にも似た大胆奇抜な手法が駆使されている。
清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造りで、屋根はこけら葺きである。西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、東側には花頭窓を設け跨虹橋を臨んでいる。
昭和15年(1940)浅野家から広島県に寄付され、同年7月12日国の名勝に指定された。 昭和20年(1945)原爆によって壊滅状態になったが、県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元した。
園の名称は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。 園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっている。
この種の庭園は、回遊式庭園と称され、室町時代にその萌芽(ほうが)がみられ、江戸時代初期に最盛期を迎えた形式で諸大名の大庭園の多くはこれに属する。
池の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築きなおさせたものといわれ、東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の 千歳橋にも似た大胆奇抜な手法が駆使されている。
清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造りで、屋根はこけら葺きである。西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、東側には花頭窓を設け跨虹橋を臨んでいる。
昭和15年(1940)浅野家から広島県に寄付され、同年7月12日国の名勝に指定された。 昭和20年(1945)原爆によって壊滅状態になったが、県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元した。
広島へご旅行の機会がありましたら是非お寄りになってみて下さいね~!
ではではぁ~

好いGW後半をお過ごし下さいね~!!
