5月3日から2週間が経つ。
全てはこの日に始まった。
母方の祖母が救急車で病院に搬送され、危篤状態との連絡が入った。
私は米子へ帰省する道すがらだった。
渋滞にはまってなかなか車が進まず、いつもなら米子に到着している時間だったけど、まだ佐用も通過していなかった。
きっとおばあちゃんが引き止めていたのだろう。
すぐに引き返し病院へ向かった。
病状はひどい肺炎、腎不全も起こしている。
呼吸は浅く、苦しそう。
そんな状態が1週間続いた。
母は泊まりこみ。
私は2号を連れて昼間交代。
そして5月11日正午過ぎ、母の見守るなかおばあちゃんは息を引き取った。
私が駆けつけた時には、苦しみから解放され穏やかな顔で眠っているおばあちゃんだった。
不思議と冷静だった私。
なぜか涙は出なかった。
母ができないと言うので、代わりに私がおばあちゃんにお化粧をした。
チークと口紅を塗ったら、私の知ってるかわいいおばあちゃんだった。
お坊さんの都合がつかず、通夜は一日空いて13日、告別式は14日。
一人っ子の母は立派に喪主を務め、無事に終わった。
1号は骨になったおばあちゃんをみて、「シヅカちゃんどこに行っちゃったの?1号、シヅカちゃんいなくなって悲しい。」とどこまで理解しているのか謎だけど、素直に受け入れられたようだ。
私はさすがに涙涙の2日間。
お寺で初七日を終え、おばあちゃんの遺骨は四十九日まで我が家の2階に置いてもらうことになった。
その部屋は、おばあちゃんの寝ていた部屋の真上で家は変わってしまったけれど、やはり自宅に戻れるのがおばあちゃんにとって一番だろうと考えて我が家に帰ってきてもらった。
一番辛かったのは遺品の整理。
施設に入所していたので昨日手伝いに行ったのだけど、全てがそのまんまでベッドにはまだおばあちゃんの面影があって、おばあちゃんの生活があって、それを処分するのはとても辛かった。
今日は母と役所へ行き、色々な手続きを済ませてなんとか一段落。
ふ~~~~~っ
疲れた。
まだ1号の3歳児健診の視力検査と聴力検査できてないや。
あさってなのに

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