アイリス綾
スピリチュアルカウンセラー(除霊含む)として活動中。電話・対面での鑑定をはじめ、心理カウンセラーや講師業も兼業。心に寄り添い、一人一人に合わせた丁寧なサポートを心がけております。よろしくお願いいたします。
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子供食堂で見た「本当に大切なもの」
3,000人を占ってきた私が、子どもたちの笑顔から学んだ幸せの本質
◆ ◇ ◆
アイリス綾
スピリチュアルカウンセラー
目次
はじめに 占い師が、なぜ子供食堂に立つのか
第一章 「お腹がすいた」の向こう側にあるもの
第二章 一杯のカレーライスが教えてくれたこと
第三章 静かに座る母親たちの背中
第四章 3,000人の相談者と、子供食堂の景色が重なるとき
第五章 「淡々と、こだわりなく、粛々と」という生き方
第六章 本当に大切なものは、いつも「見えにくいところ」にある
第七章 あなたの日常にも「子供食堂」がある
第八章 感謝を「才能」ではなく「技術」として磨く
第九章 子供食堂から学んだ「人に頼る勇気」
第十章 「運が良い人」に共通する、たった一つの習慣
第十一章 今日から始められる、三つの小さな習慣
第十二章 うまくいかなかった時代を生きてきた、すべての人へ
おわりに 湯気の向こうにある、本当の豊かさ
著者プロフィール
はじめに 占い師が、なぜ子供食堂に立つのか
占い師です、と名乗ると、たいていの方は少し意外そうな顔をされます。そのあとで「子供食堂でボランティアをしています」と続けると、今度はもっと意外そうな顔をされます。占いと子供食堂。一見、まったく違う世界に見えるかもしれません。けれど私にとって、この二つは同じ一本の道の上にあります。
私は1980年生まれ、いわゆる「氷河期世代」です。就職活動でうまくいかない同級生を何人も見てきましたし、私自身も、思い描いていた通りの人生を歩んできたわけではありません。新卒で入った金融機関に26年間勤め、数字と規則と、お客様の暮らしのすぐそばで働いてきました。窓口に立てば、大きな夢を語る人にも、生活に追われる人にも、同じように向き合う仕事でした。
並行して、20年間、高齢者施設を中心にボランティアで相談を受け続けてきました。仕事の休みの日に施設を訪ね、ただお話を聞く。それだけの時間を積み重ねるうちに、人がふと本音をこぼす瞬間には、ある共通した空気があることに気づくようになりました。誰かに評価されるためでも、正しい答えを出すためでもなく、ただ「聞いてもらえた」と感じられたときに、人の表情はふっとゆるむのです。
2025年から、有償での鑑定を本格的に始め、おかげさまで今では3,000件を超えるご相談をお受けしてきました。学生さんから経営者まで、幅広い年代・職業の方々にお越しいただいています。肩書きも年齢も違う。けれど、鑑定の椅子に座った瞬間、皆さん驚くほど似た顔をされます。それは「本当のことを、誰かに聞いてほしい」という顔です。
そして今、私は月に何度か、地域の子供食堂に立っています。エプロンをつけて、カレーをよそったり、宿題を見てあげたり、たわいのないおしゃべりに付き合ったり。占い師としての顔とは、まるで違う時間に見えるかもしれません。けれど実際に立ってみると、鑑定の場で起きていることと、子供食堂の湯気の向こうで起きていることは、驚くほど似ているのです。
このコラムでは、子供食堂というささやかな現場で私が見てきた景色と、3,000人を超えるご相談の中で積み重ねてきた気づきを重ね合わせながら、「本当に大切なもの」について、できるだけ率直にお話ししたいと思います。特別な能力や、難しい理論の話ではありません。誰の日常にも転がっている、けれど見落としやすい真実についての話です。
私が敬愛する小林正観さんと片山鶴子さんの教えに、「淡々と、こだわりなく、粛々と」という言葉があります。この言葉は、私の生き方そのものを支えてくれている柱です。子供食堂で出会った小さな出来事の数々は、この言葉の意味を、理屈ではなく実感として、私に教え続けてくれました。どうぞ最後まで、その景色を一緒にたどっていただけたら嬉しいです。
第一章 「お腹がすいた」の向こう側にあるもの
子供食堂と聞くと、多くの方が「経済的に困っている家庭の子どもたちが、無料または安価で食事をとる場所」というイメージを持たれると思います。それは間違いではありません。実際、月末になるとご飯を十分に食べられない家庭は、想像以上にたくさんあります。けれど、現場に立ち続けてわかったのは、子供食堂に本当に足りていないのは、お米やおかずの量だけではないということでした。
ある日、小学三年生の男の子が、カレーを三杯もおかわりしました。よく食べる子だな、と最初は微笑ましく見ていたのですが、ふと気づいたのです。彼はカレーを口に運びながら、ずっと私たちスタッフの顔を見ていました。おいしいから食べているというより、誰かがそばにいて、自分を見てくれている時間を、少しでも長く味わおうとしているように見えたのです。
食べ終わったあと、彼はぽつりと言いました。「家だと、一人で食べるから味がしない」。お母さんは夜遅くまで仕事をしていて、彼は毎晩、電気をつけたリビングで一人、コンビニのおにぎりを食べているのだと教えてくれました。お腹は満たされていたのかもしれません。けれど、満たされていなかったのは、胃袋ではなく、もっと奥のほうにある何かでした。
私たちは、お腹がすいた、という言葉を、つい文字通りに受け取ってしまいます。けれど人は、栄養だけで生きているわけではありません。「誰かと一緒にご飯を食べる」という行為そのものに、言葉にならない安心があるのだと、子供食堂に立つようになってから、あらためて教わりました。同じ食卓を囲む相手がいる。それだけで、味は変わるのです。
これは鑑定の場でも、まったく同じことが起きています。ご相談にいらっしゃる方の多くは、恋愛や仕事、お金についての具体的な悩みを口にされます。けれど話を丁寧に聞いていくと、その奥にあるのは「自分のことを、誰かにちゃんと見てほしい」という、とてもシンプルな願いであることがほとんどです。占いという入り口を使って、人は本当の飢えを打ち明けにいらっしゃるのだと、私は感じています。
経済的な支援は、もちろん大切です。けれど支援という言葉が、時に人と人との距離を測るものさしになってしまうことがあります。「支援する側」と「支援される側」という線引きが強くなりすぎると、そこに温度は生まれにくくなります。子供食堂で本当に価値があるのは、無料の食事そのものよりも、「一緒に食べる」という、その場に流れる時間なのだと思います。
だからこそ私たちスタッフは、配膳が終わったあとも、できるだけ子どもたちの隣に座るようにしています。宿題を手伝いながら、今日あった出来事を聞きながら、ただ同じ空間で時間を過ごす。特別なことは何もしていません。けれどその「何もしていない時間」こそが、子どもたちにとって、ご飯そのものと同じくらい、大切な栄養になっているのだと感じています。
この「何もしていない時間」の価値は、忙しい現代社会の中では、驚くほど見落とされがちです。私たちはつい、何かを教えること、何かを達成させることばかりに意識を向けてしまいます。けれど、子どもの成長にとって本当に必要なのは、評価もされず、成果も求められない、ただ安心して過ごせる余白の時間なのだと、子供食堂に立つようになってから、あらためて実感するようになりました。
第二章 一杯のカレーライスが教えてくれたこと
子供食堂の定番メニューといえば、やはりカレーライスです。材料費が比較的安く、たくさんの量を作れて、好き嫌いも少ない。とても合理的な選択なのですが、ある日、この「合理的な一杯」が、私にとって忘れられない出来事になりました。
その日、いつものように大鍋でカレーを煮込んでいると、五歳くらいの女の子が、じっと鍋をのぞき込んでいました。「大きいお鍋だね」と声をかけると、彼女は真剣な顔でこう言いました。「うちの鍋、小さいから、ママと半分こなの」。悪気のない、ただの事実としての一言でした。けれどその一言が、私の胸にまっすぐ刺さりました。
彼女の家では、限られた食材を、お母さんと分け合っているのだそうです。彼女はそれを不幸だとは思っていない様子でした。分け合うことが日常であり、それが当たり前だと思って育っている。だからこそ、大きな鍋いっぱいのカレーを見て、「大きいお鍋だね」という、無邪気な驚きの言葉が出てきたのだと思います。
その日、彼女によそったカレーを、彼女は本当に嬉しそうに、けれど少しだけ遠慮がちに食べていました。おかわりを勧めても、最初は首を横に振りました。「もらいすぎたら悪いから」と、五歳の子が言うのです。子どもは、大人が思っている以上に、周りの気持ちを敏感に感じ取り、遠慮することを覚えてしまうのだと、そのとき痛感しました。
私はこのとき、鑑定の場でよくお会いする、ある種の方々のことを思い出していました。十分な収入があっても、どこかで「もらいすぎてはいけない」「幸せを受け取りすぎてはいけない」というブレーキをかけてしまう方が、実はとても多いのです。恋愛でも、仕事でも、大きな幸運が訪れそうになると、無意識にそれを手放してしまう。まるで、おかわりを遠慮する子どものように。
こうしたブレーキは、多くの場合、幼い頃の体験に根っこを持っています。「わがままを言ってはいけない」「人よりも多くを求めてはいけない」。そう教えられて育った人ほど、大人になってから、自分にふさわしい幸せの量を、無意識に小さく見積もってしまう傾向があります。それは決して間違った教えではありません。けれど、そのブレーキが強すぎると、差し出された優しさすら、うまく受け取れなくなってしまうことがあるのです。
人は、小さい頃に身につけた「これくらいで十分」という感覚を、大人になっても、意外なほど長く引きずって生きています。それは決して悪いことではなく、その人なりの優しさや慎ましさの表れでもあります。けれど、その感覚が強すぎると、本当は受け取っていいはずの幸せまで、遠慮して手放してしまうことがあるのです。
私はその日、彼女のお皿に、そっとカレーをもう一杯分、追加しました。「今日はたくさん作りすぎちゃったから、食べてくれると助かるんだ」と、彼女が受け取りやすいように、理由をつけて。彼女は少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうに、今度は遠慮なく食べてくれました。その笑顔を見ながら、私は「与える」ということの本質について、あらためて考えさせられました。
「作りすぎちゃったから」という一言には、実はちょっとした工夫が隠れています。もし「特別にあなたにだけ、もう一杯あげるね」と言っていたら、彼女はきっと、もっと強く遠慮していたはずです。特別扱いという言葉は、時に人を身構えさせてしまいます。反対に、「こちらが助かるから、受け取ってほしい」という伝え方は、相手に負い目を感じさせず、自然に受け取ってもらいやすくなります。この小さな言い回しの違いは、日常の人間関係の中でも、そのまま応用できる知恵だと思っています。
本当の優しさとは、ただ与えることではなく、相手が受け取りやすいかたちで手渡すことなのだと思います。鑑定の中でも、私はよく「受け取り方」についてお話しします。幸運や愛情は、実はすでにあなたの周りに用意されていることが多いのです。ただ、それを「自分には受け取る資格がある」と思えるかどうか。そこに大きな分かれ道があります。
「受け取る資格」という言葉を使いましたが、これは決して、何かを成し遂げた人だけに与えられる特別な許可証のようなものではありません。むしろ逆で、資格は最初から誰にでも備わっているものです。ただ、幼い頃の経験や、これまでの人間関係の中で、その資格に「自分には無い」というラベルを、自分自身で貼ってしまっていることが多いのです。そのラベルを、そっと剥がしてあげること。それもまた、占い師としての私の、大切な役割の一つだと思っています。
第三章 静かに座る母親たちの背中
子供食堂というと、主役はどうしても子どもたちだと思われがちです。けれど実際に現場に立ち続けると、もう一つの大切な景色が見えてきます。それは、子どもを連れてくる保護者の方々、特にお母さんたちの背中です。
多くのお母さんは、子どもを送り届けたあと、少し離れた席に座って、静かにスマートフォンを見ていたり、目を閉じて休んでいたりします。話しかけると、疲れた笑顔で応えてくださいますが、その表情の奥に、深い疲労が滲んでいるのを感じることが少なくありません。仕事、家事、育児。一人で何役もこなしながら、休む間もなく走り続けている方がほとんどです。
ある日、常連のお母さんが、子どもが友達と遊んでいる間、ぽつりぽつりと話してくださったことがあります。「ここに来ると、少しだけ、母親じゃなくていい時間がもらえる気がするんです」。誰かが子どものご飯を用意してくれて、誰かが子どもの相手をしてくれる。その数十分だけ、彼女は肩の荷をほんの少し下ろすことができるのだと言います。
私はこの言葉を聞いたとき、子供食堂の本当の役割の一つに気づかされました。子供食堂は、子どものための場所であると同時に、日々ケアをし続けている大人たちが、束の間、ケアされる側に回ることのできる、数少ない場所でもあるのです。人は誰かを支え続けていると、自分自身が支えられる経験を忘れてしまいがちです。
これは、私のもとにいらっしゃるご相談者にも、よく重なる姿です。仕事で部下を支え、家庭で家族を支え、周囲から頼りにされ続けている方ほど、鑑定の椅子に座った瞬間、糸が切れたように涙を流されることがあります。「誰かに話を聞いてもらうのが、こんなに久しぶりだとは思わなかった」と、多くの方がおっしゃいます。
ケアをする人にも、ケアが必要です。当たり前のことのようでいて、実際の生活の中では、驚くほど見落とされがちな真実です。お母さんたちの静かな背中を見ながら、私はいつも思います。この人たちが、誰かにケアされる側に回れる時間を、もっと増やせないだろうかと。
だからこそ、子供食堂では、子どもだけでなく、保護者の方にも「ゆっくりしていってくださいね」と声をかけるようにしています。何かをしてあげる必要はありません。ただ、そこにいていい、休んでいい、という空気をつくること。それだけで、ふっと肩の力が抜ける方が、本当にたくさんいらっしゃいます。
本当に大切なものは、目立つ支援や、大きな金額の中にあるとは限りません。誰かが座っていい椅子を用意すること、その人が何もしなくていい時間をつくること。そんな、ささやかで、けれど確かな居場所こそが、人を根本から支える力を持っているのだと、お母さんたちの背中から教わりました。
興味深いのは、そうして少し休むことができたお母さんほど、帰り際には、以前よりずっと穏やかな表情で子どもを迎えに来られることです。人は、自分の中の器が空っぽのままでは、誰かに何かを注いであげることはできません。まず自分自身が満たされて初めて、子どもにも、周囲の人にも、余裕を持って優しくできる。子供食堂という場所は、その循環を、静かに支える役割も担っているのだと感じています。
第四章 3,000人の相談者と、子供食堂の景色が重なるとき
占いの鑑定は、一対一の、極めて密室的な時間です。子供食堂は、大勢の人が出入りする、開かれた場所です。まったく違う環境のようですが、3,000件を超えるご相談を重ねてきた今、私はこの二つの場所で、まったく同じ人間の姿を見ていることに気づかされます。
鑑定にいらっしゃる方の多くは、恋愛、結婚、仕事、お金、人間関係など、具体的なテーマを持って来られます。「彼と結婚できますか」「この仕事を続けるべきでしょうか」。質問はさまざまですが、話を深く聞いていくと、驚くほど共通する願いにたどり着きます。それは、「自分は、ここにいていいのだろうか」という、存在そのものへの不安です。
子供食堂に来る子どもたちも、大人たちも、言葉にすることは少ないけれど、同じ不安を抱えていることが多くあります。「自分はここにいていいのか」「迷惑をかけていないか」「必要とされているのか」。豊かさや貧しさ、年齢や立場に関係なく、この不安は、驚くほど多くの人の心の底に横たわっています。
興味深いのは、この不安が、経済的な状況の大小とは必ずしも一致しないことです。私のもとには、いわゆる成功者と呼ばれる方々、社会的に大きな責任を担われている方も多くいらっしゃいます。けれど、その方々もまた、心の奥では「本当の自分を、誰かに理解してほしい」という、子どもたちと同じ願いを抱えています。地位や収入は、その不安を覆い隠す鎧にはなっても、根本から癒す薬にはならないのです。
金融機関に長く勤めていた頃を思い出しても、資産の多寡にかかわらず、多くの方が同じような表情でご相談に来られていました。お金の問題は、突き詰めると、お金そのものの問題ではなく、「自分がどう扱われたいか」「自分がどう見られたいか」という、心の問題に行き着くことが本当に多いのです。
だからこそ私は、鑑定の場でも、子供食堂の現場でも、同じことを大切にしています。それは、相手の「不安の中身」を決めつけず、ただそこにある気持ちを、そのまま受け取ることです。「大丈夫ですよ」と急いで励ますのではなく、「そう感じているんですね」と、まず受け止める。答えを急いで渡すよりも、その人の言葉が着地する場所を、静かに用意すること。
子供食堂の子どもたちも、鑑定にいらっしゃる大人たちも、本当に求めているのは、正しい答えよりも先に、「あなたの気持ちは、確かにここにありますよ」という、存在の承認なのだと思います。占いという不思議な力よりも、実はこの、ごく当たり前の受け止めのほうが、人の心を大きく動かしているのかもしれません。
現場で相談をお受けする中で感じてきたのは、人が本当に変わっていく瞬間は、こちらが立派なアドバイスをしたときではなく、ただ静かにうなずき、相手の言葉をそのまま受け止めたときに訪れる、ということです。子供食堂でも同じです。子どもに向かって、正しい振る舞いを教え諭す瞬間よりも、ただ黙って隣に座り、同じ時間を過ごしているときのほうが、子どもの表情はずっと柔らかくなります。答えを与えることよりも、その場に共にいることのほうが、実はずっと大きな力を持っているのだと、繰り返し実感させられます。
そしてその「ここにいていいのだろうか」という問いは、私にとって単なる実績ではなく、一件一件のご相談に、静かに寄り添わせていただいた記録でもあります。そしてその一つひとつの問いは、子供食堂で出会う小さな瞳の中にも、静かに、けれど確かに宿っているのです。
第五章 「淡々と、こだわりなく、粛々と」という生き方
私が人生の指針としている言葉に、小林正観さんと片山鶴子さんの教え、「淡々と、こだわりなく、粛々と」があります。この言葉に初めて出会ったとき、なんと潔い響きだろうと感じたことを覚えています。同時に、頭で理解することと、実際にその通りに生きることの間には、大きな距離があることも、長い年月をかけて実感してきました。
「淡々と」とは、感情に振り回されすぎず、目の前のことを静かに続けていくことです。「こだわりなく」とは、こうあるべきという執着を手放すことです。「粛々と」とは、大きな声を上げず、誠実に、自分のなすべきことを積み重ねていくことです。この三つの言葉は、それぞれ独立しているようで、実は一本の糸でつながっています。
子供食堂の現場は、この教えを実践する、最良の練習の場だと感じています。カレーを何百人分作っても、感謝されないこともあります。せっかく準備した食材が、事情で無駄になることもあります。子どもたちの態度が、こちらの思うようにいかないこともしょっちゅうです。それでも、淡々と鍋をかき混ぜ、こだわりなく状況を受け入れ、粛々と次の週もまた準備をする。その繰り返しの中にこそ、この教えの本当の意味が宿っているのだと感じます。
占いの仕事も同じです。数多くのご相談を受ける中には、当然、思うような結果をお伝えできなかったこともありますし、私の言葉が、その方の望む答えと違っていたこともあります。それでも一件一件に、感情を過剰に乗せすぎず、けれど心を込めて、誠実に向き合い続ける。その積み重ねこそが、信頼というかたちで、少しずつ返ってきたのだと思います。
「こだわりなく」という言葉は、時に誤解されます。何も望まない、何も願わないということではありません。むしろ逆で、自分の願いや役割ははっきりと持ちながら、その結果や、相手からの評価に対しては執着しない、という姿勢のことだと私は理解しています。子供食堂で子どもたちに料理を出すとき、私は「喜んでほしい」という願いは持っています。けれど、必ず喜ばれなければならない、という執着は手放しています。その差が、実はとても大きいのです。
執着を手放すと、不思議なことに、行動そのものは軽やかになります。結果に一喜一憂する必要がなくなるからです。今日のカレーがおかわりされなくても、それは今日の子どもたちの気分やお腹の具合の問題であって、自分の価値が否定されたわけではない。そう思えるようになってから、ボランティアの時間そのものが、以前よりずっと楽しく、続けやすいものになりました。
「粛々と」という部分にも、大切な意味があります。派手な成果や、目に見える変化を追い求めなくてもいい、ということです。子供食堂の活動は、劇的にすべてが解決するような魔法ではありません。今日来た子が、来週も来るかどうかもわかりません。それでも、また今週も同じように鍋を火にかけ、同じように椅子を並べる。その粛々とした繰り返しの先にしか、本当の信頼関係は育たないのだと思います。
氷河期世代として、思うようにいかない時代を生きてきた私にとって、この教えは、単なる精神論ではなく、実際に人生を立て直してくれた実感のある言葉です。うまくいかない現実を淡々と受け止め、こうあるべきという理想への執着を手放し、それでも自分にできることを粛々と続けていく。その先に、今の、心から幸せだと思える日々があります。
この教えを実生活に落とし込むコツを一つ挙げるとすれば、それは「今日できることだけに集中する」ということです。将来への不安や、過去への後悔は、考え出すときりがありません。けれど、目の前にある鍋を混ぜること、目の前の相談者の言葉に耳を傾けること、今日一日を丁寧に生きること。その範囲に意識を戻すたびに、心はふっと軽くなります。淡々と、こだわりなく、粛々と、という言葉は、遠い理想ではなく、今日この瞬間から始められる、具体的な生き方の指針なのです。
第六章 本当に大切なものは、いつも「見えにくいところ」にある
子供食堂で過ごす時間の中で、私が繰り返し実感してきたことがあります。それは、本当に価値のあるものほど、目に見えにくく、数字にもしにくい、ということです。用意した食事の量や、来場した人数は、報告書に書くことができます。けれど、子どもがふと見せた安心した表情や、お母さんの肩から力が抜ける瞬間は、どんな数字にも変換できません。
私たちはつい、目に見えるもの、数えられるものにばかり価値を置きがちです。収入、資産、肩書き、フォロワー数。もちろん、それらが人生を支える大切な土台であることは間違いありません。けれど、その土台の上にどんな家を建てるかは、目に見えない部分、つまり心の満たされ方によって、まったく違うものになります。
鑑定の場でも、経済的にはとても恵まれているのに、深い孤独を抱えていらっしゃる方に、何度もお会いしてきました。逆に、決して裕福とは言えない生活の中でも、驚くほど満ち足りた表情をされている方もいらっしゃいます。その違いを分けているのは、持っているものの量ではなく、日々の中で「見えにくい大切さ」に気づけているかどうかなのだと感じています。
子供食堂で出会うある高齢のボランティアさんは、いつも私にこう言います。「大きなことはできなくても、目の前の一杯を、ちゃんと届けることならできる」。その方は、決して裕福な暮らしをしているわけではありません。けれど、その一杯に込める丁寧さを見ていると、この方は誰よりも豊かな時間を生きているのだと感じずにはいられません。
見えにくい大切さに気づくためには、少し立ち止まる時間が必要です。忙しい日常の中では、つい「役に立つかどうか」「効率がいいかどうか」で物事を判断してしまいます。けれど、子どもが笑った瞬間や、誰かがほっと息をついた瞬間には、効率とはまったく違うものさしが必要です。それは、感謝の目で、日常をゆっくり眺め直す時間です。
私が大切にしている教えの中に、感謝を軸に生きることの大切さがあります。感謝とは、特別な出来事に対してだけ抱く感情ではなく、当たり前に思える日常の中にこそ、意識して見出していくものです。今日もご飯が食べられたこと、今日も誰かと言葉を交わせたこと、今日も一日が終わったこと。そうした「見えにくい大切さ」に光を当てる習慣こそが、人生を根本から豊かにしてくれます。
私は鑑定の最後に、多くの方にこうお伝えしています。「今日、誰かに『ありがとう』と言われた瞬間はありませんでしたか」。ほとんどの方は、少し考えたあとで、思い出したように小さな出来事を語ってくださいます。その瞬間、表情がふっとやわらぐのがわかります。見えにくかった大切さに、あらためて光が当たった瞬間です。
本当に大切なものは、探しに行かなくても、実はすでに私たちのすぐそばにあります。ただ、忙しさや不安の中で、その存在に気づきにくくなっているだけなのです。子供食堂の湯気の向こうにも、鑑定の椅子の上にも、そして読者の皆さまの今日という一日の中にも、見えにくいけれど確かな大切さは、静かに息づいています。
第七章 あなたの日常にも「子供食堂」がある
ここまで、子供食堂での出来事を通して、私が感じてきたことをお話ししてきました。けれど、このコラムでいちばんお伝えしたいのは、子供食堂という特別な場所の話ではありません。私たちの日常そのものが、実は小さな「子供食堂」でできている、ということです。
誰かに温かい食事を差し出すこと。忙しい人が、ほんの数分でも肩の力を抜ける時間をつくること。相手の言葉を、答えを急がずに受け止めること。存在そのものを、条件なしで認めること。これらはすべて、子供食堂で日々起きていることですが、実は職場でも、家庭でも、友人関係の中でも、まったく同じかたちで実践できることばかりです。
たとえば職場で、後輩が困った顔をしているとき、「どうしたの、大丈夫?」と一言かけること。それは、あなたが差し出す、目に見えない一杯のカレーです。家族が疲れて帰ってきたとき、何も聞かずにただお茶を淹れてあげること。それは、あなたが用意した、座っていい椅子です。誰かの話を、最後まで遮らずに聞くこと。それは、あなたが手渡す、存在の承認です。
私たちは、大きな社会貢献や、特別なボランティア活動だけが「本当に大切なもの」だと思いがちです。けれど実際には、日々の暮らしの中にある、ごく小さなやりとりの一つひとつが、誰かにとっての子供食堂になり得るのです。そしてそれは、特別な資格や、大きな資金がなくても、今日この瞬間から始められることです。
3,000件を超えるご相談を通して、私が確信していることがあります。それは、人は誰しも、誰かにとっての「見えない子供食堂」になれる力を、生まれながらに持っているということです。占いの結果や、運命の巡り合わせよりも、目の前の人に向ける、ほんの少しの優しさのほうが、実は人生を大きく動かす力を持っています。
もちろん、いつも完璧に優しくあれる必要はありません。忙しい日もあれば、心に余裕がない日もあります。そんなときは、無理をせず、淡々と、こだわりなく、粛々と、できる範囲で目の前のことをこなしていけばいいのです。その積み重ねの先で、ふと気づいたときには、あなたの周りに、あなたを頼りにする人、あなたに救われた人が、静かに増えているはずです。
子供食堂の子どもたちは、大きなことをしてほしいとは思っていません。ただ、一緒にご飯を食べてほしい、話を聞いてほしい、そこにいてほしい。そのシンプルな願いは、私たちの日常のすぐそばにいる、家族や同僚、友人たちの願いと、驚くほど重なっています。
あなたの日常の中にも、きっと誰かの「お腹がすいた」の声が、小さく響いているはずです。それは文字通りの空腹ではなく、心の空腹かもしれません。今日、あなたが誰かに差し出す優しさの一杯が、その人にとって、生涯忘れられない味になるかもしれない。そんな可能性を、私たちは日々、無意識のうちに手にしているのです。
同時に、忘れないでいただきたいのは、あなた自身もまた、誰かにとっての「一杯」を、受け取っていい存在だということです。優しさを差し出す側にばかり回ろうとすると、いつか心の器が空になってしまいます。受け取ることと、差し出すこと。その両方が自然に循環してこそ、関係は長く、健やかに続いていきます。あなた自身の心の空腹にも、どうか同じだけの優しさを向けてあげてください。
第八章 感謝を「才能」ではなく「技術」として磨く
「感謝の気持ちを持つことが大切です」と言われても、正直なところ、どう持てばいいのかわからない、という声を鑑定の場でもよくいただきます。感謝というと、生まれつき心が温かい人だけが上手にできる、特別な才能のように思われがちです。けれど私は、感謝は才能ではなく、誰でも身につけられる技術だと考えています。
子供食堂で働くようになってから、私自身、感謝を技術として磨く練習を積み重ねてきました。たとえば、一日の終わりに、その日出会った小さな出来事を三つ、心の中で数え直す習慣です。大きな出来事である必要はありません。「今日、子どもが完食してくれた」「今日、誰かが手伝ってくれた」「今日、無事に一日が終わった」。そんな些細なことで十分です。
この習慣を続けていると、不思議なことに、日常の中で「ありがたいこと」を見つけるアンテナそのものが、少しずつ敏感になっていきます。最初は意識しないと気づけなかった小さな幸運が、だんだんと自然に目に入るようになるのです。これは特別な感性ではなく、繰り返しによって育つ、筋力のようなものだと感じています。
鑑定にいらっしゃる方の中には、「感謝しなければいけないのに、素直に思えない自分がいる」と、自分を責めてしまう方も少なくありません。けれど、感謝は義務ではありません。無理に感じようとするほど、かえって心は遠ざかってしまいます。まずは「気づく」ことから始めれば十分です。感じられなくてもいい、ただ、今日あった小さな出来事を、事実として一つ思い出してみる。それだけで、感謝の技術の土台はできあがっていきます。
もう一つ、子供食堂で学んだ実践的な技術があります。それは、「ありがとう」を、言われる前に自分から先に伝えることです。子どもたちにご飯をよそうとき、私はよく「今日も来てくれてありがとう」と声をかけます。すると、子どもたちのほうから、恥ずかしそうに「ありがとう」と返してくれることが多いのです。感謝は、受け取るものである以上に、差し出すことで循環していくものなのだと、この場所で何度も教わりました。
日々の暮らしの中で、感謝の技術を磨く方法は、実はとてもシンプルです。朝、目が覚めたことに気づく。誰かと言葉を交わせたことに気づく。今日という一日が、無事に終わったことに気づく。特別な出来事を待つのではなく、当たり前に思える瞬間の中に、意識して光を当てていく。その積み重ねが、やがて人生全体の見え方を、静かに、けれど確実に変えていきます。
第九章 子供食堂から学んだ「人に頼る勇気」
子供食堂には、さまざまな事情を抱えたご家庭がいらっしゃいます。中には、最初は遠慮がちに、周囲の目を気にしながら扉を開ける方もいます。「こんな理由で来てもいいのだろうか」「もっと大変な人がいるはずだから」と、自分の困りごとを小さく見積もってしまう方が、実はとても多いのです。
ある常連のお母さんは、通い始めて半年ほど経ったころ、ぽつりとこう話してくれました。「最初は、頼るのが怖かったんです。頼ったら、自分がだめな親だと思われる気がして」。けれど実際には、誰も彼女を責めたりはしませんでした。むしろスタッフも他の保護者も、彼女が来てくれることを、ただ純粋に嬉しく思っていました。
人に頼るということは、決して弱さの証ではありません。むしろ、頼ることができる人ほど、周りとの間に健やかな循環をつくることができます。一人ですべてを抱え込もうとすると、心も体も、いつか必ず限界を迎えます。子供食堂という場所は、「頼っていいのだ」という許可を、静かに手渡してくれる場所でもあるのだと感じています。
これは、鑑定にいらっしゃる方々にも、繰り返しお伝えしていることです。特に真面目で責任感の強い方ほど、誰かに助けを求めることを、どこか恥ずかしいことのように感じてしまう傾向があります。仕事でも、恋愛でも、家庭のことでも、「自分で何とかしなければ」という思いが強すぎると、かえって視野が狭くなり、本来なら受け取れたはずの助けにも気づけなくなってしまいます。
頼る勇気を持つことは、相手を信頼する勇気でもあります。誰かに助けを求めるという行為には、「あなたになら、この弱さを見せてもいい」という、静かな信頼が込められています。子供食堂に足を運ぶご家庭の姿を見ていると、頼ることは決して恥ではなく、むしろ人と人とをつなぐ、勇気ある一歩なのだと、あらためて実感させられます。
そしてもう一つ大切なのは、頼られる側にまわったときの心構えです。誰かが勇気を出して差し出してくれた弱さを、決して軽く扱わないこと。「そんなことで悩まなくていいのに」と切り捨てるのではなく、「話してくれてありがとう」と、まず受け止めること。その姿勢があってはじめて、頼るという行為は、安心して繰り返せるものになっていきます。
頼ることに慣れていない方には、まず「小さく頼ってみる」ことをおすすめしています。いきなり大きな悩みを打ち明ける必要はありません。「これ、少し手伝ってもらえますか」というくらいの、ごく軽いお願いから始めてみるのです。小さな頼りごとを重ねるうちに、頼ることへの抵抗感は、少しずつやわらいでいきます。そしてその積み重ねの先に、本当に大変なときにも、自然に「助けて」と言える関係が育っていきます。
もしあなたが今、誰かに助けを求めることをためらっているなら、どうか思い出してください。頼ることは、弱さではなく、人とのつながりを育てる、立派な力の一つです。淡々と、こだわりなく、粛々と。時には自分の弱さも、隠さずに差し出してみる。そこから始まる関係のほうが、実はずっと長く、あたたかく続いていくものです。
第十章 「運が良い人」に共通する、たった一つの習慣
占い師という仕事をしていると、必ずと言っていいほど聞かれる質問があります。「運が良い人と、そうでない人には、どんな違いがあるのですか」。この質問に、私はいつも同じ答えをお伝えしています。運が良い人に共通しているのは、特別な星の巡りでも、生まれ持った資質でもなく、ただ一つ、「今あるものに、先に気づけるかどうか」という習慣です。
子供食堂で出会う子どもたちの中にも、この違いは驚くほどはっきりと表れます。同じように厳しい環境で育っていても、「今日もご飯が食べられてよかった」と感じられる子と、「なんでうちだけこんなに大変なんだろう」と感じてしまう子がいます。どちらの感じ方も自然なことで、責められるべきものではありません。けれど、長い目で見たとき、前者のほうが、周りからの助けを引き寄せやすい傾向があるのは事実です。
これは、「足りないもの」を先に数えるか、「すでにあるもの」を先に数えるか、という視点の違いです。足りないものばかりに目を向けていると、心は常に不足感でいっぱいになり、せっかく差し出された優しさにも気づきにくくなってしまいます。反対に、すでにあるものに目を向けられる人は、小さな親切や偶然の巡り合わせにも敏感に反応でき、そこからさらに次の縁がつながっていきます。
鑑定の場でも、この違いは如実に運命の流れに影響しています。同じような相性、同じようなタイミングの恋愛相談でも、「彼はこんなに私を大切にしてくれている」と感じられる方と、「彼はこれくらいしかしてくれない」と感じてしまう方とでは、その後の展開が大きく変わっていくのです。相手が変わったわけではありません。受け取る側の視点が変わることで、同じ現実が、まったく違う景色として立ち現れてくるのです。
この「今あるものに、先に気づく」習慣は、生まれつきの性格ではなく、日々の小さな選択の積み重ねによって育てることができます。朝、カーテンを開けたときの光に気づく。誰かがさりげなく気にかけてくれた一言に気づく。今日、無事に一日を終えられたことに気づく。そうした小さな気づきを、意識して積み重ねていくことで、視点そのものが、少しずつ「足りない」から「ある」へと移り変わっていきます。
もちろん、努力や行動そのものが不要だと言いたいわけではありません。行動は大切です。けれど、同じだけ行動していても、「足りない」を数える人と、「ある」を数える人とでは、周りに映る印象も、引き寄せる縁の質も、驚くほど変わってきます。運が良いとは、特別な力に恵まれることではなく、すでに自分のもとにある小さな幸運を、見落とさずに拾い上げていく力のことなのだと思います。
運とは、どこか遠くからやってくる特別な力ではなく、今すでに自分の手の中にあるものに、どれだけ丁寧に気づけるかという、日々の姿勢そのものなのだと、私は3,000件を超えるご相談と、子供食堂での日々を通して、確信するようになりました。
第十一章 今日から始められる、三つの小さな習慣
ここまで、子供食堂での出来事を通して、本当に大切なものについてお話ししてきました。最後に、今日から誰でも始められる、三つの小さな習慣をお伝えしたいと思います。特別な準備は何もいりません。今日のうちの、ほんの数分間でできることばかりです。
一つ目は、「今日あった、ありがたいことを三つ思い出す」習慣です。夜、眠る前の数分間でかまいません。大きな出来事でなくていいのです。「今日もご飯を美味しく食べられた」「今日、誰かと少し笑い合えた」。そんな些細なことを、声に出すか、あるいは心の中で数えてみてください。この習慣を続けるうちに、日中の意識そのものが、少しずつ「ありがたいことを探すモード」に変わっていきます。
二つ目は、「誰かに、先に『ありがとう』を伝える」習慣です。感謝の言葉は、言われるのを待つのではなく、自分から差し出したほうが、何倍も心を豊かにしてくれます。家族に、同僚に、店員さんに。ほんの一言でかまいません。その一言が、相手の一日を少し明るくし、巡り巡って、自分自身のもとにも温かさが返ってきます。
三つ目は、「今日、自分にできる小さな親切を、一つだけ実行する」習慣です。大きなことでなくていいのです。重い荷物を持っている人にドアを開けてあげる。疲れていそうな人に、さりげなく声をかける。誰かの話を、最後まで遮らずに聞く。そうした小さな親切の一つひとつが、あなた自身にとっての「子供食堂」を、日常の中に少しずつ増やしていきます。
この三つの習慣に共通しているのは、どれも「今、すでに自分の手の中にあるもの」を使ってできる、ということです。特別な資格も、大きな資金も必要ありません。必要なのは、ほんの少し立ち止まる時間と、目の前の人や出来事に、丁寧に意識を向ける姿勢だけです。
淡々と、こだわりなく、粛々と。この三つの習慣を、完璧にこなそうとする必要はありません。できる日もあれば、できない日もあっていいのです。大切なのは、続けようとする気持ちを、静かに持ち続けることです。その積み重ねの先に、あなた自身の毎日が、そしてあなたの周りにいる大切な人たちの毎日が、少しずつ、けれど確実に、温かい方向へと変わっていくはずです。
第十二章 うまくいかなかった時代を生きてきた、すべての人へ
このコラムを読んでくださっている方の中には、私と同じように、思い描いていた通りの人生を歩んでこられなかった方も、きっといらっしゃると思います。就職氷河期、リーマンショック、コロナ禍。時代の大きなうねりに翻弄されながら、それでも毎日を、なんとか積み重ねてきた方々です。
そうした時代を生きてきた私たちは、どこかで「頑張っても報われないことがある」という現実を、身をもって知っています。それは決して悲観的な諦めではなく、むしろ、地に足のついた強さの土台になっていると、私は感じています。理想通りにいかない現実の中でも、目の前のことを淡々とこなし続けてきた経験は、何にも代えがたい財産です。
子供食堂で出会う子どもたちの中にも、将来、同じように厳しい時代を生きていく子が、きっといるでしょう。その子たちに、私が伝えたいことは一つだけです。「うまくいかない時期があっても、それはあなたの価値とは関係がない」ということです。時代の巡り合わせは、個人の力ではどうにもならないことがたくさんあります。だからこそ、うまくいかない結果を、自分自身の価値そのものと結びつけて責めないでほしいのです。
私自身、金融機関に勤めながら、思うようにキャリアが開けない時期を、何年も過ごしました。けれど今振り返ると、あの時間があったからこそ、今、鑑定にいらっしゃる方々の焦りや不安に、心から寄り添うことができているのだと感じます。うまくいかなかった経験は、無駄になるのではなく、いつか誰かに寄り添うための、静かな土台になっていくのです。
淡々と、こだわりなく、粛々と。この言葉は、順風満帆な人生を歩んできた人のための言葉ではなく、むしろ、思うようにいかない現実を生き抜いてきた人たちにこそ、深く響く言葉なのではないかと思います。理想への執着を少しずつ手放しながら、それでも自分にできることを、今日もまた積み重ねていく。その姿勢の中にこそ、本当の強さと、本当の優しさが宿っています。
もしあなたが今、思うようにいかない現実の中にいるとしても、どうか焦らないでください。あなたがこれまで積み重ねてきた時間は、決して無駄にはなりません。いつか、誰かの支えになる日が、必ずやってきます。それは、私自身が、身をもって経験してきたことです。
子供食堂で出会う子どもたちを見ていると、時折、大人顔負けのしっかりした振る舞いを見せてくれることがあります。厳しい環境の中で、早くから自立せざるを得なかった子どもたちです。そうした姿を見るたびに、胸が締めつけられる思いがすると同時に、その芯の強さに、いつも敬意を抱かずにはいられません。厳しい時代を生き抜く力は、決して弱さではなく、誰にも奪うことのできない、確かな財産になっていくのだと信じています。
おわりに 湯気の向こうにある、本当の豊かさ
子供食堂の厨房に立ち、大鍋から立ちのぼる湯気を眺めながら、私はいつも思います。この湯気の向こうに、私たちが本当に探し求めている豊かさがあるのではないかと。お金や成功、社会的な地位は、確かに人生を支える大切な要素です。けれどそれらは、本当の豊かさそのものではなく、豊かさへとたどり着くための、いくつもある手段の一つに過ぎません。
本当の豊かさとは、誰かと分かち合える時間があること、ありのままの自分を受け止めてくれる場所があること、そして自分自身も、誰かにとってのそんな場所になれること。これらは、収入の多さや、社会的な成功とは、必ずしも比例しません。むしろ、立ち止まって周りを見渡す余裕があるかどうかのほうが、豊かさを実感できるかどうかを大きく左右しているように感じます。
長年の金融機関での勤務、20年以上にわたる高齢者施設でのボランティア、そして今、占い師として数多くの方々と向き合ってきた日々。さらには、子供食堂でエプロンをつけて過ごす時間。振り返れば、これらすべての時間が、一つの問いへとつながっていました。「人は、何によって本当に満たされるのか」という問いです。
その答えを、私はまだ完全には言葉にしきれません。けれど、子供食堂の湯気の向こうで、子どもたちの笑顔や、お母さんたちのほっとした表情を見るたびに、答えの輪郭が、少しずつはっきりしてくるのを感じます。それは、お金でも、成功でもなく、「誰かと共にいる」という、ごくシンプルで、けれどかけがえのない事実そのものなのだと思います。
氷河期世代として、決して平坦ではない時代を歩んできた私にとって、今のこの日々は、心から「幸せだ」と言い切れるものです。それは、何かを大きく成し遂げたからではなく、淡々と、こだわりなく、粛々と、目の前の一杯を差し出し続けてきた、その積み重ねの先にある幸せです。
このコラムを読んでくださったあなたにも、どうか、日常の中にある小さな「子供食堂」に、少しだけ目を向けてみていただきたいと思います。誰かに差し出す一杯の優しさ、誰かの話を聞く数分間、誰かがただそこにいていいと思える空気。それらはすべて、あなたが今日から始められる、本当に大切なものへの入り口です。
最後までお読みいただき、心から感謝いたします。あなたの日常が、湯気の向こうにある温かさで、少しでも満たされますように。そして、あなた自身もまた、誰かにとっての大切な居場所であることに、これからも気づき続けていただけますように。淡々と、こだわりなく、粛々と。今日も、明日も、あなたらしい一歩を重ねていってください。
もし、あなた自身の日常や、これからの歩みについて、じっくりお話をお伺いする機会があればと思い、個別相談も承っております。ご興味を持たれた方は、ホームページよりお気軽にお立ち寄りください。
アイリス綾
著者プロフィール
スピリチュアルカウンセラー・アイリス綾(あいりすあや)
1980年生まれ。金融機関で長年勤務する傍ら、高齢者福祉施設で20年以上ボランティア相談員として活動。現在はスピリチュアルカウンセラー、AI活用アドバイザーとして活動し、3000件を超える鑑定・相談に携わる。
「淡々と、こだわりなく、粛々と」を人生の指針とし、小林正観氏・片山鶴子氏の教えに深い影響を受けている。現在は地域の子供食堂にもボランティアとして携わりながら、Note・Kindleにて自己啓発・スピリチュアル分野の書籍を多数執筆中。
個別相談も承っております。詳しくはホームページをご覧ください。
ホームページ:https://ayapanda0302.jimdofree.com/
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