怒ることはわたしにとって、
嫌悪する事、
うしろめたいこと、
受け入れがたい事、
ネガティブな事、
蓋をしたい、
向き合いたくない感情、
でありました。

怒りは誰にでもわきます。

アンガーマネジメントについて、
わたしはその本を読んだことがありませんが、
ヨガでもヨーガスートラの中の一文で、
ヨーガ チッタ グリッティ ニローダハ 1-2
ヨガとは心の動きをしずめるものとあり、
心をの動きは、
冷静な判断を損ない、
周りが見えなくなったり、
周囲との調和がとれなくなり、
人を傷つけたり、
自分が傷ついたりする。
そこで、
ヨガで客観的に心を観ること、
総合的に物事をみること、
すべきでないこと、
すべきことを真摯に行うことによって、
今の心を受け止め、
コントロールししずめる。
そうすべき事であることが、
正しい事と素直に思ってました。

しかし、
ある先生は、
怒りは自然なこと、
人間誰しもが持つ感情、
アンガーマネジメントは、
不自然で、
どこかに歪みがくる。
と、
おっしゃいました。

それを聞いて、
びっくりした反面、
その角度から物事を考えると、
それはそれでもっともであり、
そうかもと思いました。

そして、
ある人のブログを見せてくれました。
そしてそれが、
ヨガとフイットしました。

そうなんです。
人間は色々な感情があってこそ人間。
そうやって神さまが作ったのかなんなのか、
人間らしさって大事だな、
素直な感情に、
なんだかんだ理屈で害のないように作っても、
確かに何処かに歪みがくる。

うん。
でも、
ただワガママに、
ただ怒りを撒き散らすのは、
またこれも迷惑。
こどもの駄々。

まあでも、
そう感じた感情は素直な反応であったという、
それも本当。
野生的な感情。

そこで、
人間には、
理性と、
知性がある。

その怒りが、
どういうものなのか、
エゴによるものなのか、
それとも相手を思ってのものなのか、
愛があるのかないのか、
本当に必要な怒りなのか。

その怒りは、
衝動的につかうものではないとありました。
意識して使うと。

ぐっ、
くるん、
ぱ!
3年A組のドラマの中でも、
あったのを思い出しました。

そう、
踏み止まり、
一度自分の中で考える。
そうだなーっと。

怒りは誰にでもわきます。
喜びも、
楽しい気持ちも、
悲しみも、
みんな必要な感情。

ニローダハの、
訳もたくさんあり、
死滅、
しずめる、
コントロール、
その先生は、
コントロールって、
なんか西洋的、
意図的、
といったのを受けて、
、、、。
他のヨガ哲学の先生が、
おっしゃっていたこと思い出しました。
どれもちょっと違う。
ニローダハ、
理解する、
把握する、
受け入れる、
の方が近いと。

解釈が少しズレるだけで、
結論、
真意が、
大きくズレてしまうことってあるな、
極論のような。

オリジナルの型紙から、
何度も次から次へと製複すると、
ちょっとズレるとどんどんズレるように。

したいのは、
心の動きを消したいのではなくて、
なかったことにしたいのではなくて、

心の動きを、
怒りと、
ちゃんと向き合って、
理解把握、
受け入れるということ、
だったんだ。
聞いていたのに、
その時ではなく、
後になってしっくりときた。

このことが、
わたしにとって大切な気づきとなりました。

そして、
自分のエゴに振り回されずに、
愛を持って接する。
陰陽の印のように、
陰の中心には陽がある。
愛があるから怒りが湧くんだ。

そう思えたら、
自分の怒りと向き合うことが、
しやすくなりました。

そう、
お水を凍らす実験で、
「ありがとう」と声をかけるのと、
「ばかやろう」と声をかのと、
「無視」するのとで、
3つに分けて実験をしたところ、
「ありがとう」は綺麗な結晶
「ばかやろう」は乱れた結晶
「無視」は一番乱れていたようです。

無関心、
無視は一番愛がないのかな。

人間は水よりも繊細。
ちょっと湧いた怒りも、
自分とも相手とも、
きちんとそのとき向き合うことで、
全部でなくても、
わかりあえることもあるはず。
そう思って、
自分の感情を、
大切にしていきたい。