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着物を着るようになって、どんどん思い出す子供の頃の記憶


血筋なのか波瀾万丈なもうすぐ100才になる祖母は、10代の時に田舎の静岡県磐田市から一人東京に遠征しこれからの時代は"女も手に職"なんだと東京の和装学校に通い和裁士になった。


東京で目黒の豪邸の地主の息子と出会い、恋に落ち結婚し、男の子が一人生まれた。


しかし、蓋を開けてみたら相当、女癖が悪い人だった。


耐えかねた祖母は、離婚を決意し実家に帰り人生をやり直す決意をした。


しかも、男の子を一人産んでいたのだけれど、後継に置いていけと言われ、泣く泣く諦めたのだ。


また、いつか会えると信じて。


磐田に帰ってきたら、なんとお腹に赤ん坊がいた。


 

それが"私の母"


結局、女で一つで母親を育てることを決意し、朝から晩まで着物を仕立てた。


今思うと、祖母はずっと着物を縫っていた。

仕事ばかりしていて、家事は洗濯ぐらいしかできず、料理は火を使ったこともないぐらいの人だった。


友達も少なくて、遊びに行っている姿を見たことは殆どない。


男には懲りたそうで、一生、独り身だった。


でも、仕事の腕はピカイチで、ご指名で正絹の着物をよく仕立てていて、かわいい孫たちすら仕事部屋には入れてもらえず、見兼ねた父は、小さな仕事部屋を家とは別に建てた。


浜松は"織物も街"ということが、浜名湖でお仕事させて頂くようになり、肌で感じるようになった。


着物や浴衣を着ると、なんというか、衣紋や身八つ口や裾から通り抜けていく風がなんとも気持ちが良いし、きっとこの土地に生まれ育った女性なら、"織物"との思い出が何かしらあるかなと。


今思えば、子供の頃の貴重な体験は、その当時は大変面倒で、大人の自己都合のように思えて、私は全く大切にしてこなかったけれど、四十を過ぎて、それがどれだけ貴重な体験だったかを思い出し、遠州のこの風土と文化は、美しいだけではなくて、生きていくために、土地の特性を生かすことが生きぬく道でもあった。


一つひとつ、思い出したことを、こうして綴っていこうと思います。


そして、何かしら形に残していこう!


ちなみに、祖母は生き別れた息子とはそれっきりの会えることはありませんでした。


それだけ、自分の人生を選んだ祖母には、厳しい時代でした。


 

 


 

 

 

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