こんにちは
 

 
今日は神様のお話。
 
ずっとずっとずっと、気になっていたので
自分の産土神社を調べてもらいました。
 
 
産土神社とは、生まれる前から死後まで、
ずっと私を守護してくださる
産土の大神さまと交流できる神社だそうです。
 
一生の守り神で、
人生の霊的守護の基盤だそうです。
 
 
合わせて、
産土神社と連係して私を護ってくださっている
鎮守神社も調べてもらいました。
 
 
神社リサーチです。
 
 
 
私はこれまで、
神社庁が定める産土神社&氏神様に
お詣りして生きてきました。
 
私の場合、
神社庁による産土神社は大阪の住吉大社です。
生まれ育ちが住吉大社の近所でした。
 
 
 
 
 
初詣は住吉さん。
桜の季節は住吉公園でござをしいて、
八朔食べながらお花見をしました。
なぜか八朔……
子供の頃、グレープフルーツとか
柑橘類をよく食べさせられていました。
 
おばぁちゃんに連れられて、
住吉公園にはよく遊びに行きました。
ブランコにのせてもらうと、
気が狂うほど笑い転げる子供でした。
あの時のお腹の快感、今も覚えています。
気が狂うほど笑う時の、お腹の痛さね(笑)
 
 
春は桜だけでなく、
色とりどりのパンジーも記憶によく残っています。
 
なぜなら、
おばぁちゃんがパンジーって言えなくて 
いつも『ジーパンきれいね』って言うから。
ジーパンちゃうで、パンジーやで!!って
ツッこんであげてたから。
忘れないなぁ。
 
 
 
 
神社リサーチによる産土神社は、
魂のお母さんなのだそうです。
 
必ずしも
神社庁の産土神社とは一致しないそうです。
 
 
魂のお母さん
 
私、この言葉を聞くと(読むと)
魂がふるえました。
まだ会えていない気がしました。
 
 
大阪の住吉大社の近所に
0歳~9歳まで暮らして以降、
 
大人になってから住吉大社に産土詣りが
できていなくて気になっていました。
 
 
2012年に やっと、
念願叶って住吉大社にお詣りできました。
30年以上のご無沙汰です。
 
 
 
 
 
2013年に主人と出会い、
2014年に結婚し、
 
結婚の報告も住吉さんに行けました。
 
 
 
 
 
結婚してからは不思議と毎年、
主人と一緒に住吉大社に行けています。
 
 
 
 
 
なのに、なんか違和感を感じるのです。
 
 
なんか満たされない、なんか違うな、
という違和感。
 
 
住吉大社には行っているのに、
摂社、末社もお詣りしているのに、
大切にお詣りしているのに、
何かピンとこない感覚がずっとありました。
 
 
それから、ここ8年ほど好きで 
よく足を運んでいた京都の護王神社へ
いつものように行くと、
『もう違うよ』というエネルギーを感じ、
『梛神社』と聴こえてきました。
この時は強くエネルギーを感じたので、
エネルギーに従い、お詣りを控えました。
このサインは昨年の秋ごろから薄々きていました。
 
 
住吉大社の違和感と、
聴こえてきた『梛神社』を
明確にしたかったので、
何年も気になりつつタイミングをはかっていた
 
神社リサーチ
 
を受けることにしました。
 
 
私もいい年齢になってきて、
神々に大切に向き合いたいと
心から思うようになっていました。
 
 
 
神社リサーチの結果は、お盆の前に到着。
魂のお母さんを知るには、いいタイミングです。
 
 
リサーチの結果が届き、封を開け、
ファイル越しに目に入った 
わずかな文字だけで………
ぐっと涙が出てきました。
 
チラッと見えた神社は住吉大社ではない。
でも、住所は住吉区。
見たことない神社の名前。
 
どこだろう?と当然 思うのですが、
涙の方が先でした。
しまいに嗚咽のような涙が出てきました。
 
こういうことか………
私の魂のお母さん
が わかったからだ。
 
 
それと合わせて、
鎮守神社は梛神社だとわかりました。
 
6月に聴こえてきた
『もう違うよ』『梛神社』という声……
そのまんまでした。
 
梛神社は現在の氏神様なので、
もちろんお詣りに行っています。
梛神社の前にバス停がありましてね、
私は学生時代 毎朝 このバス停でバスを降りて
通学していました。
 
学生時代の馴染みの土地に、
結婚のタイミングで暮らすことになり
 
なんとも深いご縁を感じたものでした。
この地に帰ってきたなぁ~~って。
 
 
 
長くなるので続きはまた。
 

とうとがなし照れ

尊尊我無:奄美の方言で、先祖や神、自然や人々への最上級の感謝や祈りの言葉。