相手を信頼するからこそ、Noを言う
最初は相手の意見(意思)を聞きながら、
自分の意見(意思)を伝えながら、
お互いの落としどころを見つけようと試みるのですが、、。
それでもどうしても、
お互いに妥協できない時って、
あるじゃないですか、、。
(え?ない?私はめっちゃあった笑)
そういう時にこれまでの私やったら、
結構譲ってしまうことが多くて、、。
でも後から振り返ると、
『やっぱりそれは出来ない。』
『私には無理です。』
って、
ちゃんと相手にNoを伝えるべきやったな~と、
反省することが、まあまあ、あったわけですな。
で、こういったことが積み重なると、
最終的にどうなるかと言いますと、
私の限界が来て、
「終了(end)」がきてしまうという。
(何回繰り返すねんわたしって、自分でツッコミ入れたくなりますわ。)
で、これをもっと深堀すると、
この思考(相手にNoが言えない)が一体どこから来ているのか?
私が自分自身を感じるに、
"相手への信頼(本当の意味でのリスペクト)"
と
"自分への信頼(自信)"
が足りてなかったな~と言うとことに、
行きついたわけでございまする。
もう少し噛み砕いて言うと、
私がNoを伝えようとも(渡そうとも)
その先に相手がそれを、
どう感じ、どう受け取り、
どういう選択をとるかは、
相手の自由であるということ。
これまでの私は、根底の部分でここが欠けていた
(自分が、私が、なんとかしなくてはと思っていた)から、
相手を本当の意味で信頼し、
自分の素直な気持ちを
言い渡せなかったんだよね。
加えて自分への信頼(自信)も
欠けていたんやと思う。
自分が、私が、どうにかすることで、
相手の中での『私の存在価値』を
証明しようとしてたのかもしれない。
相手の要求に応えられない私でも、
相手の要望に応えられない私でも、
そこにいていいんだって、
誰かの役に立とうとしなくていいんだって、
自分の中で、信じられていなかったんやな~って、
最近気がついた。(おそぉ~。)
そこに気が付いた時、
同時に"自分への傲慢さ"にも気が付いた。
私が誰かの役に立つことでしか
自分の存在価値が認められない
(証明できない)のなら、
目の前の相手をわざわざ
「私がいないとダメな存在」にしてしまうからね。
これってすごく、
相手の存在に対しても、
相手が本来もつ力(自立心)に対しても、
愛やリスペクトがなかったんやな~って。
そこに気が付いてからは、
「自分が思ったこと」
「自分が感じたこと」
「YesもNoも」
遠慮なく伝えていこうと、決めました。
(って、ここで宣言したら、より自分への決意も深まると思い書いておく。笑)
こんな風に自分の内側を、
深く深く掘っていくと、
これまで見えてこなかった部分が
たくさん見えてくる。
私が今受けさせてもらっている
では、
自分が心の奥深くで持っている
『ブロック』や『トリガーポイント』に
アクセスして、優しく、ゆっくり、
自分との対話を大事にしながら
紐解いてくれるセッションです。
自分の中で分離が起きている部分、
自分の中で否定してしまっている部分を、
しっかり自分で認識(キャッチ)して、
統合(本来の自分)へと導いてくれます。
今日は私の実体験、
『相手を信頼するからこそ、Noを伝える』のお話とともに、
私が受けているセッションの紹介でした。
リンク貼っておくので、
ご興味ある方はぜひ覗いてみてね。
今週も残り2日!!
明日死んでもいいと思うくらい、
1日1日をめいっぱい噛みしめて、
全力で楽しみたいと思いま~す。
See You