何か
思うときには



環境を変えて
好きなことをしてみるとか




自然
高原
散歩
旅行
温泉
源泉
瞑想





色々いろいろ







明日何が起こるか分からないから
“毎日を全身全霊をかけて生きる”


なんて
出来たらいいなと思うも


日々をなんとなく送ることも
案外そう
わるいものでもなく
キライじゃない



“今日を命をかけて精一杯生きたか…?”
と問われると


(それ…。ちょっと…、、、疲れます…。。。)


ボケーッと生き慣れしてる
ナマケモノの私には
正直
重苦しく
答えづらい









でも一方で
そんな生き方が出来たらいいな…。
なんても思う



なので
その“全身全霊”←のコイツの
気張った漢字から受ける固さを
ちょっとゆるめて


“私の悦” は
“私の快” は

想いを込めるやり方に
ゆるーりと
“ラクさ”
をもって

出来ることだけ許し
愛し
愉しく
正直に
後悔のない日々を

願ったり
思ったり





どれだけそう出来ているのだろうか…
と振り返ったり

考えたり

やってみたり














私が私に還る旅





いまは
その旅路の途中のよう

随分むかし
もう産まれたときから
そうだったような

すべては
決めてきた
約束の
ただ通過点のような
















取り巻くすべて
壮大なものから
欠片のひとつの私自身も




大きな転換期でしょうか










小さな世界の
今のわたしは
少なくとも



安全な帰る家がある
語り合う人がいる
歌うことができる




というだけでも
幸せかな




と思ったり。








…でね、
さっきの話

問われずとも


今、
生きているだけで

もう
それが
それ自体が

“命をかけて精一杯生きている”

なのよ。ね











…じゃない…?

(((  ̄ー ̄)((゚ー゚*)…ヾ( ゚ー゚)(* ̄ー ̄)ゞ


と思う








外から見える“私”でなく
誰からの許可でもなく


結構
割と精一杯に…


そう。
そういうものよね














今日は
とりとめもない、

…というか
最近は
とりとめもない文章多しですが



でも
結構
私の真髄



そういうのを書きたくなりました