今回はロシアン奏法について、まずざ〜っくりとお伝えしたいと思います。
 
 
『ロシアピアニズム』とは、伝統を担うロシアの奏法なわけですが、1つだけではなく、大きく4つの流派があると言われています。
 
その中で私は、ゲンリヒ・ネイガウスから教育を受けたピアニスト(リヒテル、ギレリスや、ヨッフェ、スルタノフ…)が、次の世代へと受け渡していった奏法の末端の末端…
そんなところにいるのでしょうか。
 
もしも受け渡しの時点で、不純物が混ざってしまったら…
それは、この奏法の継承者を語れなくても、現代の奏法へと形を変え、進化していくべきだとも思っています。
このお話はまたいつか…(^^)
 
やっと本題。
私は12歳の時、この奏法の勉強を始めました。
どういう経緯でこうなったのかは、これもまたいつか(^^)
 
 
“奏法を変えた”と言うと、
『ロシアに行って、本場のロシア人教授にみっちり叩き込まれたのか』
と思われる方がいらっしゃると思いますが、
私の場合、ロシアはトランジットで空港内のカプセルホテルに泊まった経験しかありません。
 
そう、まだロシアの大地に足をつけたことがないのです。(但し、シェレメーチエヴォ空港内のカプセルホテルには、毎回うんざりするほど長時間お世話になってます😵一度飛行機✈️にも乗り遅れたし…涙)
 
 
若干話が飛びましたが、私がこのロシアの奏法をどこで、誰に学んだのか。それは
 
・ネイガウス流派から奏法を受け継いだ、ロシアの先生から直接教わった
(場所はフランスやスペイン、はたまた日本だったり、とにかくその先生のマスタークラスに出向いて)
 
・ロシア(又はロシア人ピアニストのいる国に)に留学されて、直接奏法を学ばれた方々
 
・ロシア人の奏法を研究し尽くした先生方
 
から教わったものです。
 
もし、本場のロシア人から
そんなんちゃうわ、パジャルスタ🙄🖐』
とか訴えられたらどうしよう。。。
 
でも音大時代、マスタークラスで招聘されたロシアの教授陣から
『君はロシアの奏法に極めて近い弾き方だけど、誰に師事していたの?』
とよく言って頂いたので、多分その点は大丈夫なはず(^^)
 
 
さて、又話が逸れましたが、私にとってこのロシアン奏法にして何が変わったかと言うと
 
①音の出し方の概念
 
基音(音を出した直後の音)で音の粒を“揃える”
→倍音(音を出した後、会場内に広がっていく音)で音を“飛ばし”、その音に次の音を混ぜていく
 
 
②弾き方
 
指を一度鍵盤の上に持ちあげ、比較的真っ直ぐパソコンを直角にクリックする感じで打ち込む
→指は上に持ち上げず、手(腕、体)の重力を使い、その場所から直接手の内側の筋肉を使って、無駄なく鍵盤にストンともたれる感じ
 
 
③椅子の高さ
 
大人になるにつれて、身長に合わせて何となく椅子低くする
→鍵盤に重さをかけ、もたれる感じにしたいので、身長がいくら伸びても極力椅子を高くしてないと無理(なんなら立って弾いても◎)
 
 
主に3つ述べよと言われたら(自分で勝手に3つだけに絞っているだけですが笑)これになるんじゃないかなぁ。
 
でもこの奏法によって、音の聴き方が変わったのは事実。
それによって音楽の嗜好も大分変化しました。
 
 
 
あー、奏法について文章書くのめっちゃむずい🙄
 
 
 
そこで、映像で見た方が違いがわかって頂けるのではないかと思い、自分の昔の映像を見つけたので、現在と比較して見て頂けたらなと思います。
 
◆下の15年前の方は『クラシカジャパン』という番組に出演させてもらった時の映像の一部です。
 
 

 

 

◆そして現在の方の映像は、先日の本番でこの曲を弾くことになり、その直前リハーサルとして急遽教室で撮った映像です。
(↓だからこの題名なのです笑)
 
 
 
 

 

 

 
…いや奏法以前に、誰これ??
 
 
 
 
 
 
正真正銘、両方私です。
 
面影無さすぎて自分でもわかりません、他人様のようです。。。
 
こんな可愛いドレスを着てたのに。
まさか将来こんな風貌になるとは…
 
 
 
…さてさて、演奏比較の方はいかがでしたでしょうか?
上記の3つに、おおよそ当てはまっていたのでは?
 
『15年経てば奏法変えてなくても流石に変わるだろ』
とも思うのですが、
根本的な弾き方の変化もあるのではないかと思います。
 
 
でも勿論まだまだ研究中で、そもそも奏法より曲のイメージなども、僭越ながら…という感じです。
最近は沢山の演奏、映像で溢れていますので、その中でも“こういう演奏をする日本人もいる”、と知って頂ければ幸いです。
 
今日はおしまい。
ではまた👋