数日前、夫から提示された
未払金270万円の支払い計画。
「月々 2万円ずつ」
その言葉を聞いた瞬間、
涙が出るどころか、
ただただ、心がキューっと
締め付けられました。
270万円を、月2万円。
完済までにかかる時間は、11年以上。
「払う意思はある」という
そのポーズを維持するためだけに、
私はあと11年も、
この男と繋がり続けなければいけないのか。
そう思った瞬間、
目の前が真っ暗になりました。
これまで、娘との生活を守るために、
必死で前を向いて、
一つひとつハードルを乗り越えてきました。
でも、こんなにも不誠実な現実を
突きつけられると、
これまで必死に生きてきたすべてが
バカらしく思えてしまったんです。
苦しくて、苦しくて……。
その苦しみがあまりに深すぎて、
周りにいてくれる人の優しささえも、
信じられなくなってしまいました。
「いつでも頼っていいよ」
その温かい言葉すら、
今の私の心には、
いつか消えてしまう幻のように見えて。
誰も信じられない。
一生、この呪縛から逃げられない。
そう思って、ここ数日間はただ、
虚しさの中に沈んでいました。
けれど……
時間をかけてゆっくりと、
静かに自分と向き合った時、
一つの思いが湧き上がってきました。
「私は、あんな男に自分の人生を委ねていいのか?」と。
人は追い詰められた時、
つい目の前に差し伸べられた手に
縋(すが)りたくなってしまうものです。
幸いなことに、私の周りには、
心に余裕のある、大切な人がいます。
その言葉に甘えて、
今の苦しさをすべて預けてしまえば、
どんなに楽だろうか……と、
ふと考えてしまうこともあります。
けれど、私はあえて、
その手を取ることを踏みとどまりました。
それは、相手を拒絶したいからではありません。
今の自分が「欠乏感」や「依存心」を
抱えたまま寄りかかってしまったら、
私は私自身の力で立つことを
放棄してしまう気がしたのです。
一度甘えを覚えてしまえば、
相手を「一人の大切な友人」としてではなく、
「苦境から連れ出してくれる避難所」
として求めてしまう。
それは、私が理想とする、
対等で心地よい関係ではありません。
この先その人に会いに行くのなら、
それは相手に用意されたチケットではなく
自分の手で稼いだお金で旅費を出し、
自分の足で会いに行く。
誰かの後ろに乗って
どこかへ連れて行ってもらうのではなく、
一人の自立した人間として、
その人の前に現れたいのです。
食事を共にしながら、
近況を笑って話せるような、
「可愛げのある余裕」を
持った自分でありたい。
「ずっと大切にしたい関係」であるからこそ、
安易 に頼ってはいけない。
自分の価値を自分で守り抜くこと
それが、これまで心の支えでいてくれた相手へのリスペクトと感謝の伝え方かなと……
今はまだ、やるべき課題や日々の生活に
追われています。
けれど、この戦いを自分の力で終わらせて、
本当の意味での「自由」を手に入れた時、
私は自分の意志で会いに行こうと思います。
その日のために、今はただ、
目の前の課題に全力を注ぐだけ。
そう、自分に言い聞かせています。

