お久しぶりです雪だるま

2月19日、今日は父の命日なので
お墓参りへ行ってきました








父は7年前の今日
『肺動脈性肺高血圧症』という難病との闘病の末、多臓器不全で亡くなりました


父は私がまだ小さい頃
会社に向かう途中で喀血をし、病院に行きました

当時、肺高血圧症はまだ知られておらず
どこの病院で検査をしても原因不明だったそうです


当時、肺高血圧症の研究をしていた医師との出会いにより、『原発性肺高血圧症(現在の肺動脈性肺高血圧症)』という病気が判明しました
※肺動脈性肺高血圧症の説明は私の最初のブログに書いてあります


宣告された余命は5年

肺の動脈圧は当時56程あったそうです

正常な平均圧は18〜9mmHg

通常の3倍近く高い数値でした

肺は真っ白になり、
状態は良くなかったそうです





当時、肺高血圧症の治療は確立されておらず
効果のありそうな既存の薬を試すしかありませんでした


そのうち、フローランの治療が始まりました


在宅持続静注療法、つまり
カテーテルを胸から入れて24時間 薬を送り続ける治療です

現在のエポプロステノール治療です


在宅酸素も始めました


闘病を始めてから13、4年後
フローランの増量を速めることが
病気に効くかもしれないと分かり
増量を速めることになりました

その頃既に父は衰弱していました

心臓は肥大し、顔や足は浮腫み
骨と皮になるまでやせ細り
躁鬱の兆候も見られました

父は入院を拒否し
最後まで家に帰りたいと暴れていたそうです

ですが、その頃にはもう戻れる状態ではなく
心不全と腎不全を起こしており





7年前の2月19日の午前11時半頃

多臓器不全により 

家族に看取られながら静かに息を引き取りました

父は余命宣告の5年を遥かに超え
15年頑張りました

亡くなる前日、私はバイトをしながら
父に関する連絡がこないことを願っていました

ところが夕方に母から
『お父さんが今日明日かもしれない』と連絡があり
泣きながら病院へ向かったのを覚えています

父は『彩も来たの?』とキョトンとしていました

私が来てから少しすると
父は集中治療室に運ばれていきました

集中治療室に呼ばれ、入ると
さっきまで話していた父が嘘かのように
眠っていました

その後も父は意識朦朧としており
母と私は家族控え室で休むことになりました

朝6時頃
叔母に起こされ、集中治療室へ向かいました

父はうっすら目をあけて遠くを見つめていました
意識は朦朧としているようです

私は状況を把握出来ずにいました


先生だったか看護師だったか忘れてしまいましたが
『最後の挨拶をしてください』と言われ
家族が一人ずつ父に想いを伝えた

母は私を父に近づけ
『彩ちゃん来てくれたよ』と伝えると
父は目だけを動かして私を見ました


照れくささを押し殺して

父の手を握りました

最初に出た言葉は
絞り出すような『ごめんね』

でした

父は親指で私の手を撫でながら

『分かってるよ』と微笑みました
それが父の最期の言葉でした

その時、私は父との永遠の別れを察しました

父は力なく震える指で一生懸命私の手を撫で続けてくれました

母は父に抱きつき
『私を置いていかないで』『私はこれからどう生きたらいいの』と泣き崩れました

母のそんな姿を見たのは初めてで
びっくりすると共に別れの現実が刺さって
頭が痛くなるほど泣きました

みんな泣いてて
看護師さんも先生も暗い表情

私は父の手を握ってそのときを迎える覚悟を決めました

父の血圧や酸素飽和度、心拍は
緩やかに下がり続け
体温は失われていき、指も動かなくなっていき
呼吸は浅く、目は虚ろなまま

そして心電図が0を示した時
私は思わず立ち上がりました

その時膝に乗せていたペットボトルが落ち
心拍は一瞬戻りましたが
再び0になり、先生によって死亡確認がなされました

父の死後、先生から病理解剖を検討してほしいとのお話がありました

今後の肺高血圧症治療のために

もちろん母と私は快諾しました

主治医の隣に座る新人らしき先生は
涙目で今にも泣いてしまいそうな表情でした

たくさんの人の死を見てきた先生が
父の死で涙を流してくれることをうれしく感じました

父の病理解剖が行われ、夜に病院を出ました

父はやっと家に帰ってくることが出来ました
こんな形で帰ってくるなんて誰も望んでいませんでした

父の死後は、悲しみに暮れる暇はなく
母が崩れてしまわないか気が気でなかったのを覚えています






父は厳しい人でした




特に勉強に関して厳しく
私もよく反抗してしまうことがありました

顔を合わせれば喧嘩をする

食事中も喧嘩をしては
私が泣いたり部屋に閉じこもったり
たくさん悲しい思いをさせてしまいました

今思えば、自分が長くないから
私を立派な大人に育てようと必死だったのかもしれません


私はすぐ怒る父が苦手でした

父の愛情は感じていたし
私も父が好きだけど
素直になれないままでいました



受験の時は誰よりも一生懸命
私のために進路を考えて調べてくれました

厳しかった分
誰より真剣に私の将来を心配してくれていました


父はあまり遊んでくれる方ではなかったけど
小さい頃はサッカーを教えてくれたり
犬を連れて公園に連れて行ってくれたりしました

父と遊んだ思い出は今も心に強く残っています

小中学校といじめられてきた私は
高校に入ってドラムを始め、バンドを楽しむようになりました

『ドラムなんかやったらまたいじめられてしまうのではないか』と両親は心配していました

そんな中
父がサプライズで電子ドラムをプレゼントしてくれました




パンフレットをたくさん読んで
一生懸命調べて選んでくれた電子ドラムです

父はドラムの知識は全くありませんでしたが
『Rolandがいいらしい』と
Rolandの電子ドラムを買ってくれていました


父はドラムのことも応援してくれていたのです

病室で私のライブ映像を見て
周りの人に自慢していたそうです

父の死後、母から聞きました


父は不器用な人でしたが
とても愛情深い人でした

私の知らないところで父は私を想い
心配してくれていたそうです


それに薄々気づいていながら素直になれなかった私は最後の言葉のときに『ごめんね』が先に出て、『今までありがとう』が出たのです


後悔してもしきれませんでした


もっと早く素直になっていれば
もっと早く父に優しくしていれば

後悔したときにはもう父はこの世にいませんでした

父は入院中『娘が20になるまでは生きたい』
そう言い続けていたと看護師さんから聞きました


成人の振袖姿もウエディングドレスも
父に見せたかったです

一緒にお酒を飲んでお話がしたかったです


父が亡くなってから今も
母とはよく父の思い出話をします

父もそこで一緒に生きているように
毎日を過ごしています






父が亡くなってから5年と半年が過ぎた頃

私は父と同じ

肺動脈性肺高血圧症と診断されました



父のことがフラッシュバックしました


私も父のような人生を送るのか
目の前が真っ暗になりました


コロナ禍のため、母は先生からの電話で病名を告げられ、膝から崩れ落ちたそうです


その後は母も私も涙が枯れるほど泣いて
不安になって、衝突することもありました


私の治療が始まると医療の進化に驚かされました


父の治療で使われていたフローランは
エポプロステノールに変わり
経口薬も開発され、病気のメカニズムなどの詳細も明らかになってきていました

この5年で
肺高血圧症はたくさんの人に研究され
認知されていったのです


あの時の父の病理解剖もきっと
今の肺高血圧症治療に活かされているのだと思います


父は自分の命をかけて
私のことを救ってくれていたのだと感じました


私は恐らく遺伝性の肺高血圧症ということで
遺伝子検査を受けましたが、結果は陰性

先生たちは不思議がり、再検査を検討しています


父には自分のことを責めてほしくないです

今までの父の苦しみを少しずつ
私も知ることが出来て
こんなに体が苦しい中でも
ずっと母と私のことを愛してくれたんだと
心が苦しくなりました


父は最後まで家族のために病気と戦い
たくさんの愛情と思い出を残してくれました

父が果たせなかった無念を
私が晴らしたいです



私は絶対に肺高血圧症に負けない

父の分も生きてやるって思って生きています


父が命懸けで肺高血圧症と戦ってくれたおかげで
今私は治療を受けることが出来ています


父だけでなく、今までのたくさんの肺高血圧症患者さんが頑張ってきてくれたから私たちは治療を受けることが出来ています


いつか

肺高血圧症が完治する病気になることが

私の願いです



先生たちの研究に積極的に協力して
今後の治療に貢献したいと思っています


父のためにも
すべての肺高血圧症の患者さんのためにも

肺高血圧症の未来に光を照らせるように

私は生きます








今回は父の命日ということで
父のことをメインに書きました


皆さんも身体に異変を感じたら
すぐに病院へ行きましょう
そして定期的に健康診断を受けてください

異常なしと診断されても
気になるなら色んな病院で検査をしてもらいましょう

早期発見に繋がる可能性もありますし
発見が早ければ早いほど助かる確率は高くなります

自覚症状がなくても
病気が進行していることがあります

自分の体のことは自分が一番分かります
気のせいにせず、自分の体を信じてください


自分を大切にしてあげてください



最後まで読んでくださり
ありがとうございましたニコニコ