こんばんは


今回は気持ちを書き残しておこうと思い
ブログを書きます



自分の弱さや愚かさが出るものでもありますし
書くのをためらってきたのですが


このことがずっと心の奥で重くのしかかって
なかなか歩き出せないでいるので


ここで少し降ろしていこうと思います







バンドの解散は



私の病気だけが直接的な原因ではありません





きっかけは今年6月
私が脱退の申し出をしたことでした






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あのバンドは私が20歳のとき
初代メンバーを集めて作りました


持ち曲なし

ファンもなし

コネもなし

繋がりもなし


完全0スタートでした




運営も何もかもが初めてで
右も左も分からないまま失敗を重ねて
メンバーと頑張ってきました


オリジナル曲ができ

オリジナル曲とコピー曲でライブに出演し

そのうちファンの方や同業者の繋がりができ

少しずつ少しずつバンドの世界に
溶け込めるようになっていきました



結成から2ヶ月で
自主企画イベントも開催しました



メンバーはとても仲が良く
たくさんの壁を一緒に乗り越えてきました


深夜練6時間入って
ボロボロになるまで練習したのもいい思い出です



ですが


活動から1年が経った頃


方向性の違いから
バンドはバラバラになってしまいました



私はあのバンドに対する思いが捨てきれず
残る決意をしました


元々決まっていた後継者がいたので
今後どうするか話し合い
2人で活動をしていくことになりました



そこからの活動も楽なものではありませんでした



サポートやメンバーを募るも
ほかの活動があったり
自分のやりたい音楽ではないと
離脱をされることも少なくはありませんでした


バンドにかかる費用は2人で折半し
切り詰めて活動してきました


メンバーが揃うこともありましたが
やはり音楽性の違い、方向性の違いで
潔く別の道を選んできました


メンバーが揃うことの大変さを痛感しました



特に私は
音楽で表現したいものが明確に決まっており 


活動を通して少しずつ
バンドのスタンスや音楽性
世界観が確立され始め
それらを大切に活動してきたので
守り抜きたいという強い意志がありました


その頑固さがメンバーを揃えることを
さらに難しくしていったのです






あのバンドは私の分身のようなもので
私にとってはかけがえのない存在です



徐々にメンバーは集まり始め
やっと再始動できると希望をもった矢先の


去年9月


肺動脈性肺高血圧症と診断され

ドラムのドクターストップを受けました


バンドもドラムも続けたい気持ち
病気を受け止めきれない気持ち

これからだという大切な時期に
あまりにも残酷な宣告

病室で一人、たくさん泣きました


ドラムができなくなった自分は
もうここ(バンド)にいる資格はないと
「脱退」が頭をよぎりました




しかし、念願だったメンバーがようやく集まり
これからだという時期だったのもあり
メンバーと話し合った結果
私は裏方として
バンドに貢献していくことになりました



私自身も、病気を理由にこれ以上好きなことを諦めたくないという気持ちが強かったのです


自分がドラムをできなくなっても
バンドが存続することを望んでいました








しかし、現実はそう甘くはありませんでした







ドラムのサポートメンバーが決まり
私は裏方として
バンド活動は進んでいきました



自分がドラムを辞めても演奏は成立し
進んでいくバンドを見ているのも
ステージで輝くメンバーを
自分だけフロアから見ているのも
心が引き裂かれる思いでした



自分の居場所がなくなったように感じました


分身のように思っていたバンドから
自分だけ切り離されたような気持ちになりました


ただ、メンバーには感謝もしていました

メンバーのおかげで
バンドは生き続けることができ
初めてライブを客席から観ることができ
客観的に音楽を聴くことができたのです


とはいえ、演奏に交われないことは
とてもつらく悲しいものでした


どんなに大変なときでも
ライブのあの一瞬の幸せのために頑張れました


ライブをする度にメンバーを好きになって
お客さんを好きになって
共演者さんやスタッフさんを好きになって
音楽で一つになれる瞬間が生きがいでした



裏方として貢献していくと決めたものの
ステージに立つことを諦めきれず



ドラムができないならせめてほかの楽器で参加することはできないかと練習したりしましたが、やはりどれもドラムのように気持ちを入れることはできませんでした


私はあのバンドでドラムを演奏することが
生きがいだったのです


楽しそうに演奏するメンバーの背中や
お客さんの顔が見える
あの特等席が大好きでした


それから私は自分と自分の人生を
悲観するようになりました


自分と他人を比べてばかりで
自己肯定感は落ちていき、妬み始め
そんな自分も嫌いで
生きる意味すら見失いそうになっていました





自分のことも人生も
全てが嫌になっていました




一方で、闘病の中で私は
副作用のつらさ、病気や治療の不安から
精神的に余裕がなくなっていきました



特に病気が進行し
カテーテル治療を視野に入れていると
医者に告げられてからは
自分のことで精一杯で
バンドを支える余裕はありませんでした


前のように働くことも出来なくなり、収入も一気に落ちたことからスタジオ代やその他活動費を払うのがきつくなっていました


体調が優れず都内へ通うことは難しくなり
スタジオをお休みすることも増え
体力的にも金銭的にも活動が厳しくなっていきました

私はみんなのペースについていくのが難しくなっていきました


ですが、活動を私のペースに合わせてしまうと
もっと活動したいメンバーの活動を頓挫させてしまいます

それなら自分は辞めるべきなのではと考えました


そしてなにより
バンドの責任を背負うことやバンドを引っ張っていく元気がなく

メンバーからの意見を聞き入れたり
返す余裕もなくなり


精神的に限界がきていました


それでもバンドを諦めきれず
どうにか前向きに切り替えて頑張ろうと
踏ん張っていました


そんな中、外部とのトラブルがありました


そのトラブルになった要因の中には私の確認不足や弱さもあったと思います

でもとにかくトラブルを最小限に収めなくてはいけないと
私は自分の力不足を認めた上で取り引きの仕切り直しをメンバーに提案しました

メンバーの反応は、すでに着手してもらってるにもかかわらず、今更中止は失礼であるため続行すべきである、というものでした


メンバーの意見もその通りだと思いましたが
私はこのトラブルで大金を払わざるを得なかったのです
続行すればさらに悪化することも有り得ました

そして取り引きを続行するならば
私がひとりで先方と交渉し続けなければなりません


バンドで協力して解決するのは無理なのだと
薄皮1枚で繋がっていた『バンドを続けたい』という思いが切れてしまいました



もはや自分はただのマネージャー、雑用でしかないのだと虚無になりました


そして、このトラブルが清算できたら
バンドを辞めさせてほしいと
「脱退」という言葉が口をついて出てしまいました
 

でも、そのあと自分の中で色々考えていて

やはり大変な思いで続けてきたバンドや
たくさんの思い入れのある曲を手放すことができず、このバンドの存在と曲たちだけは私の中で大切に残しておきたいと申し出ました

メンバーの反応はさまざまで

中でも
「自分勝手だ」「無責任だ」
「あなたのせいで周りがどれだけ苦労してるか」

という言葉は深く刺さりました

それについて返信のない人もいました


それは入院中の出来事だったのですが
メンバーから長文のLINEがきていました



体調が悪くてちゃんと返せないから
待ってほしい
後日電話で話そうと提案しましたが
待つことは難しいようでした


直接話をすることすら苦痛で
顔を合わせるのも怖いのが正直なところでした

でも、自分の一存で決められることではないので、機会を作って話し合いをする必要があると思っていました



メンバーはまだまだ活動したかったはずです


それが身勝手な私のせいで奪われようとしているので、怒るのも当然です



ですが、その言葉を受け取る余裕もなく
離れたいという気持ちは増すばかりでした



この入院中に自律神経失調症になり、私が戦うべきは肺高血圧症なので、自分のためにももう終わらせようと決意しました




とはいえ、やはり一方的に解散することはできないし
最悪自分だけ脱退することになっても仕方ないと思いながら7月、メンバーと話し合いをしました


メンバーはバンドを残したいという私の意思を受け入れてくれたのか、それぞれ別の道に進むことを選びました


とはいえ、きっとこんなことにならなければ
みんなこのバンドで頑張っていきたかったはずなので本当に悪いことをしたと感じています


メンバーとの話し合いの中で
音源がきたら解散を公表するという結論になりました
それと、数名のメンバーから楽曲の使用権利とSNSの投稿についての契約を求められました


直接会っての話し合いを求められましたが
入院や新しい治療が始まる不安定な時期だったのもあり集まることは難しかったため、PDFで契約書を送ってもらうことを提案しましたが、相手は会って話がしたいの一点張りで平行線のまま、契約の話は進められずにいました

さらに契約内容の根本に納得できない部分もあり、こんな状態で会って話してもお互いが納得する形をとるのは難しいと感じました


音源が届き、公表文をみんなで考えて
公表をしようというときに
契約をするまでは公表は反対だととあるメンバーから言われました

理由は「解散公表してからでは契約に応じない可能性があるから」

というものでした

しかしそれはバンド内で解決しなければならないことであり、周りの方には関係のないことです

バンド活動は予告なくストップしたまま
メンバーは各々で活動したりしていたことから
「バンドはどうなってるのか」と問い合わせをいただくことも少なくなく

このままでは応援してくれてる方々を混乱させてしまうし、メンバーも胸を張って新しい活動をすることは難しいと考え

解散を公表することが先決であると
メンバーに話しました



しかし、ここでも平行線で
契約をするまで公表はしないよう言われていました



このままでは会うまでの時間や
契約内容でもめてる間に
公表はどんどん先延ばしになってしまい
宙ぶらりんの状態が続くと思い
強行突破で解散公表をしました


その後、契約は希望するメンバーと個人的に話し合いを続けましたが、1ヶ月が経とうとしている今も契約書は届いていません



このような経緯があって
今回、解散という結果になってしまいましたが

メンバーはもちろん、応援してくださってた方々を悲しませてしまったことはとても不甲斐なく悔しい思いがあります



自分が望んだ道でありながら
自分自身、約6年をともにしてきたバンドが
形を失ってしまったことはとても寂しいです


このバンドに関して
今後正規メンバーを集める予定はありません


体調次第なので
ゆっくりペースになってしまいますが
これからも今ある曲を大切に磨き
さらに新しい曲を生み出したり
音源化したり
Glossy Girlsを少しずつ形にして残していきたいと思っています



最後に

こんな形でバンド活動を終わらせてしまい
解散の説明が足りなかったことで
もやもやさせてしまったり
悲しませてしまって
本当に申し訳ございません

何も返せてないままでごめんなさい

約6年という長い間
たくさん支えていただきありがとうございました
心の底から感謝の気持ちでいっぱいです

バンドの存在も曲も思い出も
ずっと大切な宝物です
それはこれからも変わりません

私は自分の人生であのバンドで活動をできたことが誇りであり、出会えて本当によかったです

見守ってくださりありがとうございました



これからもドラムとGlossy Girlsとしてのライブ復帰を目標に治療に励みます


メンバーの活躍をSNSを通して見るようになり
心から喜んだり応援できるように
気持ち的に戻っていけたらいいなと思います


最後まで読んでいただき
ありがとうございました