こんばんは。

彩菜です。


視覚障害と、聴覚障害を、併せ持つ[盲ろう者]の私の、
書き散らしてく随筆もどき。
ゆったりとよんでね。



人と話して気づく事がある。
「彩菜は変人」と、面と向かっていう人間が複数いる。
ただ、具体的にこうこうこうだから、変に思うと言われることは少ない。

んで、こないだ、久々に会ったボコボコさんに言われたのである。
周りの同年代と連まずに、1人で平気な奴は、君らの年齢では1割程度やろ」
つまり、女子大生らしくねぇ、という事らしい。
脳みそが完全に男やから、「そっかーー、そっかー大変やねぇ」という会話が成り立たないらしい。

自分でも、今何を言っているかわからぬが、感覚的になるほどなという部分がある。
どんなに心配事があっても、騒ごうが喚こうが結果は変わらない事であれば、気にしていても仕方がない。
どうも、サバサバしているという。

「何か悪口言われたらどーしよう」という話には、
「悪口言う奴を引っ張り出して、さぁどうぞどうぞ、って、目の前で言わせとけば悪口にはならんやん」と、返答しては、「そーゆーことじゃなくてさぁー」なんて、話が噛み合わなかったりする。

意見の一致は、安心に繋がっている。
それが、女の子というものらしいと、教わる、知らんけど。

盲ろうの私だからかもしれないけど、ついつい、思っていることをそのまま言いがち。
本心かどうかというのは、なんとなくわかるもので、はっきりものを言う人の方が、聞き返す回数も減り、お互いに快適だと思われる。
相手が親しければ親しいほど、その傾向は高まるし、そこまでくると、相手も私に遠慮がなくなる。
思ってもいないことを、その場の空気のためにいう必要がないので、こういう関係性が私は好きなのである。

変人とは、一般的ではないということである。
私は、「他とは違う」ということを、理解したのは保育園時代だったと思う。
黄色い画用紙を渡され、これはどうするのかな?と眺めていると、保育士に取り上げられて、マジックでおそらく薄い星形をなぞり、線になぞって切るように命じられた。
その時、薄い線が見えなかったことを自覚し、他のみんなはもう切り終えていることに、よくわかんない気分になったのだと思う。
なんとなく、こんな事が重なり「よそはよそ、うちはうち」の感覚が芽生えていった。

複数で話すのは苦手というより、もはやその場にすらいたくないので、すぐどこかに消える。
それは、私が「聴こえない」から、仕方のないことで、もっと他に楽しいことを知ってるということもあって、ちっとも苦痛に感じていない。

私だって、常識のない人間だとわかっているが、それがどーした?という感じだ。
むしろ、「変人」という言葉で、ほっといてくれるならありがたい限りである。

「読書感想文の原稿を送りつけてくる奴は、私の好きなタイプの変人」と言ってくれた彼女が、私も好きなのであった。

意見が一致しなくても、変だ変だと言ってくる変人たちと、歪にではあれど心を通わせられる。
そういうことに、気づける人は気づいてほしい。

それじゃ、また今度。