もしもし、聞こえますか、見えますか。
こちらは、視覚障害と聴覚障害を併せ持つ、「盲ろう者」の私(彩菜)の、お粗末な随筆もどき。
たぶん、なんの気づきも得られないと思うが、よければゆるりとどうぞ。


台風が凄いらしい。
私が住む地域も、大雨警報なんかが盛大に鳴り響いてたし、なぜか警報が解除されるときにも心臓にショックを受けるぐらいの音量で、手元のスマホが喚くものだから、顔が何度も引き攣ってしまった。
うちは、何事もないが、お年寄りとか川の近くの人とかは、あの爆音では不安も恐怖感んも増すだろうなと、気の毒である。
ご自愛くださいませ。

それはさておき、今日はもう金曜日らしい。
らしいらしいと、よく書いてる気がするけど、物事のどれもが実感を伴っていないのだから仕方ない。
ともかく、この前月曜日だと思ってたのに、驚いたことにもう本日は金曜日。
もっと、月曜から金曜までの感覚は長いはずなのだが、毎日毎日過ぎ去っていくものだなとしみじみである。

音楽と読書はとんでもない速さで時を食べているんだな。
私は至福な時間をほわわーんと過ごしているから、ありがてぇ以外に言葉もないけど、やっぱ、ありがてぇ。
何が??

現在、午前6時43分。
1時間前に、裂けるチーズと卵かけご飯を食した。
裂けるチーズは、チーズという割に酸味が少なくこってりというか、まろやかでクリーニーである。
食感も、歯応えがあって、なんだか不思議な感じ。
縦に、すーーーっと割いて、口の中に入れると裂け具合によっても、味の感じ方に違いがあって、よく噛んでいくと塩気もあり大変美味しい。

でも、それだけだと物足りなくて、その後にお椀に多めの白米を盛り付けて、卵を手に取り、食卓に着いてしまった。
少しご飯の真ん中を窪ませて、軽く生卵を握り、テーブルに一度だけ打ち付ける。
手首も柔らかくして、適度に勢いづいて打ちつけたおかげか、一発で程よくヒビが入り、そっと両親指で引き合う。
とろっと中身がご飯の窪みに滑り落ちて、実に爽快であった。
ゴミ箱に卵の殻を捨てて、箸を手に取り撹拌して、醤油を垂らして、また混ぜ合わせていく。
この卵かけご飯を作っていく一連の作業が、私はとても好きだ。
人間が味わうことができる、幸福感に満たされるひと時の一つだと思う。
特に、深夜と急ぐことのない早朝は格別である。
味もしっかり美味しい。

実家の炊飯器のご飯で気が付いたのだが、大学の寮で自分でご飯を炊くと、余った米がすぐ固くなるのである。
それに比べると、実家の炊飯器は高性能なのだろうか、一晩経っても乾燥もしないしべちょっともしていないのである。
寮の自分の炊飯器は、炊き立てはもちろん美味しいのだけど、しばらく経つと、カピカピになりべちょっとするので意味がわからない。
おかげで、美味しい卵かけご飯を食べるために、米から炊かなくてはならないのである。
それはそれで、ありがたみを感じることではあるものの、卵かけご飯が食べたくなる時というのは、かったるい気分、基面倒臭さによる手軽さを欲しているわけで、わざわざ米を炊くところからというのも、どうも軽やかではない。
ごちゃごちゃいっても、安物炊飯器には求めすぎなのだろうか。
そうは言うものの、そのおかげで寮では毎回必ずご飯が炊きたてなので、贅沢な悩みかなと思う。

またもや、あれこれ語り尽くしてしまった。
この前も、ご飯のお供とお寿司の話題だったし、やはり、米はいいものである。
私も紛れもなく日本人で米が好き。
次の食事がいつになるか不明だけど、そのことを考えるだけでぽかぽかした気持ちになる。
まるで、胸の中でもご飯を炊いているかのような、そんな感じ。
なーんてね。

ああ、もう7時半だ。
今日の予定、部屋にこもって音楽読書。
なんも変わらない、この日々が、まだまだ愛しい。
では、良い1日をお過ごしください。