もしもし、聞こえますか、見えますか。
こちらは、視覚障害と聴覚障害を併せ持つ、「盲ろう者」の私(彩菜)の、お粗末な随筆もどき。
たぶん、なんの気づきも得られないと思うが、よければゆるりとどうぞ。


昨日は土曜日で、うっかりトータル、20時間位寝ていたと思う。
気づけば日曜で、さらに気づけば6月が終わる。

いい加減、月が変わるたびに、ショックを受けたり唖然としたり、挙げ句の果てには絶望したりすることをやめたくなってきた。
よくよく考えれば、時は動いてるんだから、そりゃ月も移り変わるのは当たり前である。
いちいち、心がざわめいていてもしょうがない。
「あっそ」という、平坦な心持ちでいたいものである。
私は毎日、今日という1日をちゃんと生きてきたのだから、慌てることはなかろう。
そんなことを急に思い至っては、熱いお茶を飲む。


やや矛盾した冒頭の書き出しはともかく、こないだまた子犬に恋をしてしまった。
最近立ち寄ったペットショップで、ケージに出された生後4ヶ月ほどの、茶色いトイ・プードルに出会った。
小さい前足に、毛が短めなおかげで元気にパタパタとはためく垂れ耳。
つんと尖った鼻筋、何よりもその生命力と温度。
私の手と戯れて、甘噛みしながらはしゃぐそいつは、たまらなく愛しい。

しばらく、わちゃわっちゃしていたところ、だんだん噛む力に遠慮がなくなってきた。
気配も「マジ」気を帯びてきて、おそらく眼も「マジ」になっていたらしい。
横で見ていた母が、私の手を取り立ち上がり、「ああ、立ちくらみが…」などという。
親バカMAXの母のことだ、「娘の手に歯跡がついてはたまらんわ」なんて思ってたりしそうだ。
引き離された私は文句を言い、「きっと、めっちゃこっち見てるよ」と呟く。
「ほんと、めちゃ見とる」と、母も呟く。

私は胸というか、心臓と脳の奥がズキズキと痛み、「ごめんね、ごめんね」と、心の中いっぱいに誤っていた、その子に。
あまりの寂しさに、こっそりうちの寮の部屋で飼えないかと、シミュレーションしてはまた「ごめんね」と、心の中でひたすら謝り続けることとなった。
それなりに、わけがわからなくなりながらも、我を失うわけにいかず、バカみたいだけど、必死に湧いてくる声を喉に押し込めていたのである。

5分ほどして、もう一度だけでもその子のそばに行きたいと思い見にいくと、見事なまでにその子犬は爆睡していた。
「寝るの早すぎじゃね?」てなぐあいに、寂しさが飛び脱力してしまった。
大変、和んでしまう。
どうか、穏やかで素敵な飼い主と暮らせますようにと祈りつつ、ショップを後にした。

束の間の癒しの時間に感謝するばかり。
まだ、私は恋をしている。

てな感じで、あの子のことを思い出しては、あああと嘆いている。
人間と向き合っている際もこんな様では困ろうものだが、アニマルと触れ合っている時との、この温度差は一体なんであろうか。

まぁ、難しいことはあんまり考えたくない。
今日も雨、もっとたくさん降ってほしい。
熱いダージリンと、アーモンドクッキーと、チョコチップクッキーを、肴に読書をする。

その合間も、なんだかあれこれ恋焦がれてはおかしな気分になってたりはしていない。
していないったらしていないのである。
それでは、ごきげんよう。