今日も映画について書きたいと思います
勝手に萌えっとしたポイントを、勝手気ままに書いていこうと思います
(萌えって最近誰も言わなくなった様な気が・・💦)
今朝、お兄ちゃんのサッカーで早起きをして、朝ごはんの支度中にふと思いだしたフレーズ
「さらば、アドリア海の自由と放埓の日々よ、ってわけだな」
「Byronかい?」
「いや、俺だよ」
※ 放埓(ほうらつ ) 抑制するものがなく、自由気ままであるさま
思い出したって言っても、
夏休みに散々子供に見させられた、というかしょっちゅうテレビから聞こえていたので
私にとって”なじみのフレーズ”で
足早に「俺だよ」と言い放ち足早に立ち去る、豚の粋でクールなあり方に
いつも目を止めて(耳を傾けて)しまうシーンです
そう、”粋”なんですよね
ユーモア、世界への揶揄、そして何とも言えない愛情が入り混じり・・行き届いている。
すごく短いフレーズの中に凝縮されていて、無駄がなく、歯切れが良く、爽快ですらあり
(ボキャブラリーが欲しい!)
ちなみにByronは、19世紀に活躍した英国詩人です
大学の英文学史の授業で聞いて、名前だけ覚えてる💦
時代背景や文化的背景を説明する一つのポイントだったりして、
子供向けの映画という枠に収まらず、丁寧に作られていることがうれしい
何回見ても面白くて見入ってしまうし、度々小さな発見があって
やっぱり映画も”もの作り”なんだなって思います
”作り手の意図”が物語の背景として色濃く存在しているから
当たり前の事ですが、いちいち感動する私
あらすじとしては
若く美しい設計師のフィオを、
自らの飛行艇でアドリア海の離島にあるアジトに連れて帰る途中
給油と買い物のために、田舎の何でも屋みたいな売店に寄った際
豚が住人と世間話をした時の会話です
物価高や、日に日に色濃くなる軍国主義
きな臭い世の中の空気
「見てくれはいいが、中身はすっからかん」の土地に住む住人との「持ちつ持たれつ」の関係
つまり美しいアドリア海沿岸の風景とは裏腹に人々の生活は貧しい
という背景ですよね
なぜこのセリフが朝から頭をよぎったか
そしてわざわざ書き留めておこうと思ったかと言うと
わたしいわゆるセミナージプシーなんですけどー💦
私変わりたい!
↓
こんな講座受けたら変われるかも!
↓
うーん!参加費高額だけども、貯金で何とかなるから、えいっと申し込み参加する
↓
楽しく実のある参加をする
けど、欲しい成果まではなかなか届かない
↓
まあいっか!きっと後で気付きが来るはず(間違った楽観)
みたいな循環の中で生きておりまして💦
貯金も本当になくなっていて💦
だけど臨時収入があったりで、なんとか回っているんだけどね
(私個人のお金で生活費とは別。たまに親がお小遣いくれたりするからやっていけているという)
で、この生活そろそろやめようぜ!
十分やってきただろ
貯金ゼロも経験したし
(このけちけち貯金魔だった私がね!もはや笑えるwww)
もーいいだろ!!!
色々こねくり回すのもういーよ!!!!
飽きたよ!!!!
いい加減腹くくれよ!!!!
生み出す行動し始めろよ!!!!
※せっかく素敵な講座や講師の方、仲間に巡り合えたのに、それを生かさないってなんなのぉ????ってゆう
が、私にとっての
「さらば、自由と放埓の日々よ」
だったわけです‥
実に色気のない、非常につまらない、未熟で、了見の狭い子供じみた
自由 と 放埓 で‥ 恥ずかしいんですけれど💦
今日もつたないブログを最後まで読んでくださりありがとうございました♡