北国の冬って
晴れる時は、思いっきり晴れる☀️



雪が降ると特にだけど
日光が反射して眩しいのなんの

光線がめっちゃ澄んでる✨✨

で、紫外線めっちゃ刺さるー😆




その様子を写真に撮りたかったけど
私のスマホでは難しかったわー















東京に住んでいるとき

マンションののリビングから見えるのは
(っていっても、2Kの畳の六畳二間ね)

数軒隣の赤い建物の屋上の貯水タンク
建物の赤も、嫌いな赤だった

他にも電線や建物がごちゃごちゃ

ベランダに出ると
真夜中でもファミレスやコンビニの
白い光かまぶしくて

これが都会に住むってことだよなって思ってた




東京は大好きな街だし✨
住んでいた場所も便利で気に入っていたけど


いつも広い空を求めていたの
なぜか、いつも、どこか息苦しくて
加湿器つけても、私の何かが乾いてた


でも、私が夫と住むのに
広い空が見える場所なんて
絶対にないと思ってた



なのに、いま、
こんなにきれいな空が見える部屋に
住めているなんて

奇跡以外の何物でもない✨✨✨

あ、札幌に居ても乾燥はするけど😁





☃️冬の写真です

















今日は何を書きたかったかというと

大学受験に失敗した悔しさのこと





41にもなって
何言ってんの?って感じなんだけど


でも自分の中に感情がこびりついていて
まだ消えてない


そして時々うずく


太陽から降り注ぐ明るい光を浴びていたら
言葉にしてみようと思った






何年か前
今よりもっと心身参っていたときに
こころの相談を受けていて

受験失敗の後悔を話してみた

そしたら、ちょっとぞんざいに扱われた印象だった


そんな目に見える成果?を追うことは
くだらないと思われたのかな


見栄やプライドを満たせなかった事を悔やむなんてとるに足らないと思われたのかな


受験とか大学名に固執するなんて
カッコ悪いし、精神的に未熟だからかな





どんな事であれ

生存には支障なくても

そのせいで清々しく生きられないのだから
私の言葉をちゃんと受け取ってくれと思った😆








昨日のブログで

私の調子の良いときと悪いときの差がすごいと書いた

アップダウン激しいし

在り方も生み出すものも
まったく!別人の様だし

しかも、自分でも引くほど
しょうもない些細な事でスイッチ切り替わる

そのスイッチがとにかくわかりにくい

私と言う人間は
とにかく掴み所がなくて、つくづく扱いが難しい
 

 

 


いまなら
自分のスイッチの切り替え方わかるけど

高校生の私には
自分の操縦の仕方なんて知らなかった

重い鞄を引きずるようにして
バスと徒歩の片道一時間弱の通学がきつかった

いつも頭痛がしていて
集中しようとしても思うようにいかず

無気力で
何も楽しくなくて
体も思うように動かない

頭ばっかり動かして
プライドばっかり高くなって

にっちもさっちも行かないって
こんな状況だよね
の代表?みたいな私だった😅






41才の私が当時の私を分析からすると

・まず第一は栄養不足からくる体の不調

・自分への労り不足

・信頼できる友だちがいない不安感

・HSPだから、周りの状況を吸収しすぎて、無駄に激しく動揺して精神が不安定

・親や周囲の期待に応えたい"前向きな"気持ちの空回り

・うまくいかない自分への強烈なダメ出し

等々

 

 


私、自分が体が弱いなんて夢にも思ってなかったし、頭が痛いのも体力無いのも、自分の努力不足か、自分の怠慢のせいだと思っていた




母親にも、私の性質や生活態度に気付いて、アドバイスして欲しかった


母は私をかわいがったとはいっていたけど
いつもサポートが足りてなかった

本人の意思を尊重する体(てい)で、突き放しすぎで

ご飯作って洗濯して学校行く手はずを整えてくれてはいたけど

寄り添うってことができない人で、どこか私に対して投げやりで

私が何を考えているかどうしたいのかってことには無関心

鉄は熱いうちに打て!の通り、小さい頃に手をかけたから、うちの子はもう大丈夫、あとは本人の責任と突き放し

(私は親の状況を感じ取って、小さい頃から親が望む通りに行動してた。お母さんが大好きだから、自分を後回しにしても、お母さんの望むようにしてあげたかった。幼い時程子の親への愛情は強く純粋。それだけ見て、子育てうまくいったとか言うなよ。)

私の話は聞かないけど、自分の愚痴は聞いてほしい、聞かないと冷たい娘と嘆く




(カッコ悪い愚痴😓出てきたまま書きました🙇)







サポートしてほしかったんだ😢

せめて、栄養面だけでも満たして欲しかった
料理嫌いだとか疲れたとかじゃなくて
腹八分目!で誤魔化すんじゃなくて
私の体を満たして欲しかった

お金がない訳じゃないのに過度の倹約

別に大学なんて行く必要ない
親を手伝って欲しいって、主張するんじゃなく

娘が自分の人生を生きるための
応援をして欲しかった

私に寄り添って、力を貸して欲しかった

こんなにやってあげてるって母は言うけど

私は孤独だったし
頑張る力なんて残ってなかった

母もたくさん苦労して、
その拗ねもあったよね

私も、できたら母にもっと寄り添いたかったし、可能なら、もっと寄り添っていたと思う

でもね

お母さんに寄り添うには
私の愛情のストックがゼロだったんだよ

幼い頃の子から母への無償の愛は
もうとっくに無くなってた

私は自分の生きる力をもあなたに注いだの
もうからっぽだったの

お母さん病気で辛かったのに
役に立てなくてごめんね

でも私は18で家を出て正解だったと思ってる










本来プライドが高くて、上昇思考で、能力だってない訳じゃない。志もある。



そんな私が
自分を生かせなかったことが

情けなくて
悲しくて
自分に申し訳なくて
悔しくて悔しくて

いまだに、その思いをどうしたらよいのか
わからないんだ







私は、この先、どうやって生きていこうか

どういう風に自分を世界に表現したいのか

もしあの大学に受かっていたら

私はいま何をして生きていただろうか




ちょっとかんがえてみようと思う













この間、佐藤ママ、というお受験専門家の教育講演会に参加した。web上の講演会



その佐藤ママの出身大学が、私が行きたかった大学で、それを知って傷が疼いたわけだけど



その佐藤ママの明るい一言が
私のアンテナに反応した



「子育てなんて、どうせ一生懸命育てたってあとで文句言われるんだから、それなら楽しむしかないでしょ!くだらない冗談言って、毎日笑い合って、楽しんだもん勝ち」



そう!!!

子育てに関しては、私もこれでいこう!!!





太陽がでてきた✨


















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