高校の卒業式の一週間後、震災が起きた。

バイトに行けなくてラッキー!なんて感情は津波と同時に消え去った。

朝起きて家に戻ると目の前の景色は自分の高さを超える瓦礫の山。

昨日の景色は砂浜に雪が積もってて、今日の景色は瓦礫の上に雪が積もってた。


これは現実か夢か。24時間後の景色は天と地か。

瓦礫の山の向こうはいつもより遠くに海が見える。


4日後だった、お父さんが帰ってきた。

車で40分の距離を4日かけて歩いて帰ってきたそのお父さんの足は傷だらけで、その目にはどんな悲惨な景色が映って、どんな気持ちでここまで辿り着いたのかな。


傷を負って苦しみの感情から逃げ切る事の出来なかった人々を見れば現実だと突きつけられ、"鮎川の情報を教えて欲しい"と言えば"この先は全滅だ"の一言。

家は無くなっててもお母さんと綾は生きてるって心配してなかったって言ってたけど、うちらも一緒でボランティアとかしてるんじゃない?って話してた。


目の前の無傷で生き残された私達を前にした時、安心した表情から流れる涙は真実を確かめられたから。

これからの終わりの始まりを想像できたから。



配給、給水、ロウソク、ラジオ。

そんな生活の中にも幸せはあって、

25年前の結婚式で使ったロウソクをお母さんが出してきたり、

ガスは使えてご飯が炊けたり、冷凍庫の大切にとっておいた海鮮を食べなきゃなくて、ご飯はいつもより豪華な日が続いた。


空からは自衛隊が救助する人はいないかって呼んでた。

いないよって合図すると、もう少し頑張ってって。


携帯の電波は途切れ途切れ。

電波の入る場所をお父さんと探して何回も発信する日々。

ある日十回目の発信でお姉ちゃんに繋がった。

奇跡の30秒の会話はどんな心地だったかな。

「生きてんの、、?。」

その一言さえ泣いててよく聞こえないけど。

「生きてるよ、みんな生きてる。」

一瞬の会話で電波が切れた。聞こえてたかな。


4月に蛇口から水が出て、5月にロウソクから電気にかわった。

テレビは放射能のニュースでハックされてる。

放射能って何?


復旧が進むのと同時に聞かれることは変わらず"出身どこ?の後の決まって"みんな大丈夫だった?"の一言。

こっちは大丈夫だけど、言わせて気遣わせてごめんって思ってた。



復興のその先には何があるのかな。楽しみだね。なんてお姉ちゃんと話したあの日の希望の行方は何処に辿り着くのかな。


変わったのはなんだろう。変わらないものはなんだ?


明日何が起きるかわからないなって呆然と立ち止まった8年前のあの日がもうすぐ9年目に変わる。


あの日震源地に1番近い町で

バリバリバリって聞こえるその後ろを振り向いた私の目に映った光景が消える日はない。


また来ると言われているからこそ

これ以上多くの悲しみを増やさない為に出来る事は、次の世代に真実を伝え続ける事でこの日の出来事を忘れない事があの日生き残された人々の使命じゃないのかな。