思い出した過去 | ▲もやもやライフ▲

▲もやもやライフ▲

2013年夏、突然わかった子宮内膜症(チョコレート嚢胞)・筋腫についてのもやもやと日常です。




最近、心療内科に勤める先生と話す機会があって
今となっては、ほんの時々しか思い出すことのなかった過去を
度々思い出すようになりました。

といっても、考えてしまう、に近いかもしれません。

悪い意味でなく、考えてしまいがちなタイプの人間は
特に心療内科の先生には向いてないのだとおもいます。
しょうがないで切り替えることができること
いちいち、いろんなことは気にしない
それこそ、文字通りのポジティブさ。

思いつめるほど考える人は
わたしが学生のころ、面接に行った
SEという職業でも不向きな性格だったので
そもそもいろんな仕事に向いていないのかもしれないけど。

先生は、日々いろんな患者を診ているけど
患者にとっては、数あるうちのひとりというよりは
ひとりの先生でしかないのになーと。
もちろんわたしは患者ではないので
本人の前では決して言わない「しょうがない」の
言葉を発したんだとも理解できる。

だとするなら、もしかすると
先生よりも、もちろん身近であった
誰か、たとえばわたしが
あの時やっぱりできることがあったんじゃないかと
思って仕方がない。

全部に答えてあげていた時に
もし、同じ結果になっていたのなら、
きっとこれほどの後悔はなかったはずだけど

わたしは大丈夫と思って
少し距離を置いてしまっていました。

あの時まで、人間は簡単には死なないと思ってました。
そうやって、ふたりで夜遅くまでベランダで話してたこともありました。
どんだけつらくても、遠い未来は想像できなかったけど
近い将来には、その子も存在してると
疑ったことはありませんでした。


助けてあげられたのは
わたしだったのかなーと
あれからずっと思っていて
でも、忘れつつありました。


年に数回、共通の友人に会うときに
できればその子だけでも幸せになってくれたらいいなと思うことは
あっても、お互い決してその話題は口にしませんでした。
それはいまも変わらず一緒です。

けど、実は同じように
わたしのために駆けつけてはくれないけれど
この人はきっといなくならないんだろうな
わたしの周りからと思っちゃってはいます。


普段交わるはずない人に出逢うと
いろいろ考えさせられます。

いいことなのかわるいことなのか
正直、今の段階では判断できません。


もう思い出したくもないとも思っているし
だけど、忘れてもいけないと思っているから。