変化することへの恐怖から逃げる言い訳に

我慢して頑張って手に入れる現状維持こそ

平和で安全だと信じていた私。

我慢して頑張るために

不安と心配を自ら作り出していました。

今振り返ってみて

それが変わり始めたターニングポイント

みたいなものがありました。



それは覚悟を決めた時です。

別の言い方をすると

肚が据わった時、期待を捨てた時。

私はずっと人任せに生きてきて

自分で決断することがありませんでした。

(と、当時は思い込んでました。

今は自分で決めたことが沢山あったこと

そしてこれから先も自分で決めると決めています。)

なので、お金の問題にしても

離婚問題、子供のこと、親との問題にしても

誰かが決めて何とかしてくれる

と、自分以外の誰か何かに期待して

自分で何とかすることから逃げていました。

自分に何かできる力があるなんて信じられなかったんです。

ですが、悩みまくって泣きまくって愚痴りまくって

まず最初は離婚問題について

離婚するか結婚生活を続けるか

誰かがどちらが正解かを教えてくれる。

結婚生活を続けるなら

あなたの場合はこういう点を気を付けなさい

そうすれば幸せになれます。

離婚するならこういう手順で

こういう風に進めたら失敗しないよ。

結婚生活を続けるより離婚した方が

あなたはもっと幸せになれるよ。

って、私が絶対に幸せになれる方法を

事細かに教えてくれる誰かなんていない。

私を幸せにできるのは私だけだと気付きました。

私が幸せになるためには私がしないといけない。

私しかいない。

私以外の人はアドバイスはしてくれても

私のために全てをやってくれる訳じゃない。

そしてそれが100%私の幸せなのかはわからないし

違ったとしても責任はとってくれない。

私を100%幸せにできるのは私だけ。

それに気付いた時に私は動き出せました。



動き出した時は心理学について

まだ何も知らない時でした。

なので、離婚についてだけは動き出したけれど

他の心配事は据え置きのままでした。

その1年後に心理学を学び始め

自己肯定感や自己否定、自己受容など

目からウロコな気付きや知識を得て

実際に自分の身をもって経験をしてきました。


不安や心配でいっぱいだった私が

今、それをあまり感じなくなったのは

1.  今、自分が考えてる不安や心配は

起こるかもしれないし起こらないかもしれない。

どちらかと言うと起こる可能性の方が低いし

その心配は何かから逃げたいだけで

自分が幸せでいるためには

意味が無いことだとわかった。

2.  もしその心配や不安が現実になったとしても

それに飲み込まれずに

より良くするための行動を私はすることができる

と思っている。

3.  不安になったり心配してしまう

ニュースや出来事はなるべく見ない。

4.  不安を煽るような人達と距離を置く。

5.  吐き出せる友人がいる。

6.  もともとが、深刻に捉えたり

深く考えたりが苦手な楽観的な性格だと思い出した。

この考え方ができるようになったから

だと思っています。



先日友達にニュースを見ないと言う話をしたら

例えば、経済悪化で生活に困窮してる時に

援助してもらえる制度があっても

ニュースを見ていなかったら

情報を聞き漏らすかも知れない。

例えば、新種のウィルスが出てきて

ニュースを見てたらいち早くその情報が手に入って

罹らないように対策が取れるのに

見てないせいで対策が取れず

命を落とす可能性もあると指摘されました。

人と話する時の話題も豊富になるし

どんな話でも合わせられる、と。



え~っと・・・

ニュースは見ないけど

情報を全て遮断してる訳じゃ無いんよね。

自分にとって必要な情報は見るし

大きなニュースは聞く気見る気が無くても

向こうから勝手に入ってくる。

ニュースの話題は豊富じゃないかも知れないけど

知らない情報を話してくれる人がいっぱいいて

それこそ知らないことを聞かせて貰うことで

話を合わせられる。

物は考えようやなぁと思った出来事でした。