自分の母親の性格について考察する(差別的な発言あり、閲覧注意!!)

個人的な考えですが、人の価値観は幼少期~思春期の親との関係性や過ごし方で、形成されると思っている。もちろんそれが、すべてではありませんが大半を占めていると思う。自分について振り返るために、母親がどんな人間だったのか振り返って行こうと思う。差別的発言があるため閲覧注意。

 

【母親ついての印象】

・私にとって、機能不全な毒親(子どもを人形のように扱い、思い通りにいかないと怒ったり殴ったりする)

 

・お金の管理にかなり厳しい(自分の損になることは絶対避ける)

 

・思考が極端で想定外のことに対応できない(自分の価値観を他人に押し付ける)

 

・自分で計画して実行することは得意(逆にそれが崩れるそうになると強引に実行しようとするし、周りを巻き込む)

 

・友達がほぼいないが、異性にはモテる(かわいい、儚い雰囲気で守ってあげたくなるらしい、私には人外にしか見えないけど)

 

・気分屋で感情的で暴力的(私は中学生になるまで殴られることが多かった)

 

・嫉妬心がものすごく強く、人の幸せを許せない(大体私が標的になる)

 

・言葉の裏が読めない(察するのが苦手というか、相手の感情に興味がなく、相手の価値観を尊重できない

 

精神年齢が幼く、夢見がちで自分を悲劇のヒロインに例えだす(自分をドラマの認知症の死期が近いヒロインに、例えだしたときは本当に気持ち悪かった)

 

【母親について考察】

母親は子供を「子ども」として接するのではなく、自分の思い通りに動く人形、もとい「所有物」みたいな扱い方だった。自分の「物」だから、好き勝手にしていいし思い通りにいかない方がおかしいという考えだったと思う。実際、私が少しでも母親の意に反するような行動を取れば、烈火のごとく怒り狂った。殴ることもあれば、何日も無視することもあった。また、私の持っている物を勝手に捨てたり使ったりしていた。(自分が同じことをされると切れ散らかす)機嫌が悪いときはあたり散らすので、毎日顔色を伺う日々だった。私が楽しそうにしていると、全力で意地悪をしてくる人間だった。

 

弟のことは自分の恋人のような扱いだった。弟に赤ちゃん言葉で甘えるように接し、「こうなんでしゅよお、たいへんなんでしゅ」というような言葉遣いだった。弟にひたすら甘えた声で話し、可愛がっていた。弟も母親になついて赤ちゃん言葉で話していた。当時の私はそれが、うらやましくてしょうがなかった。しかし、今思うととんでもなくいびつで気持ちの悪い歪んだ関係性だったと思っている。自分の子どもを恋人のように扱い、甘えた声で接するなんておぞましすぎる…。

 

母親は精神年齢が幼い。精神的に自立しておらず、ものすごく未熟で未発達だと思う。自己肯定感が低く、相手と自分の境界線が曖昧で不安定である。自分に自信がなく、劣等感が強いから嫉妬心がとても強いんだと思う。

 

これの原因は母親の両親の影響だと思う。

母親の両親について本人の口から聞いたことはなく、私が実際に会ったのも数回程度だと記憶している。私の祖母(父方の祖母)曰く、母親の両親は攻撃的で母親の性格をもっと酷くした人間らしい。気に入らないことがあると、相手の家に乗り込んで怒鳴り散らかす人間だったらしい。

 

これは憶測だが、私の母親自身、親の顔色を伺う生活だったんじゃないかと思う。両親が攻撃的であり、人の家に乗り込んで怒鳴り散らかす性格なので、私の母親は怖くてびくびくしていたと思う。たぶん、両親が母親のことを否定することが多かったんじゃないかな。

 

母親が他人を尊重できないのも、人の言葉の裏が読めないのも両親に「自分を尊重してもらえた」という経験がないからだと思う。人への配慮や尊重することが出来る人間は親から十分に愛を受けて、「自分は存在して良い価値のある人間なんだ」と思えなた人じゃないと厳しい。要は他人を受け入れるだけの土台というか余裕がないと無理。だから、その土台(余裕)がない母親は自分を無価値だと思っていたと思う。でもそれを認めたら、心が壊れてしまうから自分を守るために自分を悲劇のヒロインだと思い込むような行動をしてたのかも。

 

だから、母親が子育てをしていたというよりは、自分の安全基地を作っていた感じなんだろう。自分を否定しない愛してくれる自分だけの居場所を作っていた。と思うと母親の行動にいろいろ納得する。

 

でも、だからと言って自分の子どもを虐待して良いわけがないし、私は母親の所有物ではないのでそれは違う。

今現在、私は母親から実質縁を切られている状態なのでただの他人も同然である。だから、何かあっても助ける気は全くないし、関わるつもりもない。まあ、葬式くらいは自分の罪悪感が生じそうなら行くかもしれない。