
表向きのテーマは、「アジア系移民の歴史と今」みたいなかんじだったけど、
そんなお固いハナシなしに、
わたしは単に、外見と国籍とアイデンティティーがマッチしない人たちの話を追いたかった。
それは、わたし自身がはアメリカに生きるアジア移民で、
国籍は日本であれど、あまりに日本からかけ離れたところに自分を位置づけていたからだと思うし、
母国に帰る気もなければ、日本人として定義されたいとも願っていなかった。
若かった23歳の我武者らな自己摸索というか、
自分をどう定義していいのか、答えを探し求めていた延長上にあった旅というか、
とりあえず米国からは渡航禁止のキューバに渡り、
中国系、日系移民の人たちに、一人一人、話をきいて回った。

目的は写真であり、帰米後の写真展であったけれど、
このときにふれあうことのできた数多くのアジア系2世や3世の「自分は何者か」という感情論や、個人の思い、見たことのない親や祖父母の祖国に対する胸の内を、そして長老たちの深い想いを、わたしが忘れることはないだろう。
そして共産主義国家キューバという現実。
国外には容易に出られず、食材は配給、外貨にへつらいをこくようにすがりながらも、島内に温存されるキューバ文化に対する誇り、そして古きキューバに対するノスタルジア。

すべては、2003年のキューバから始まったように思えるし、
それからわたしは長年をかけて、アジア系移民の歴史を自分の足でたどろうと資金繰りを続け、ニューヨークから南米に出向いては長期滞在し、常にアジア系移民やその子孫である彼らと、アメリカ大陸のどこかで、ふれあって生きてきたように思う。
あの夏から十年と少しが経って、わたしは本当にアメリカ永住型の移民となり、
未だニューヨークから離れる意志も、「自分は、何者であり得るのか」という摸索もやめる気はないのだが、
答えとまではいわなくても、もうちょっと確たるものに近付くことができたのではないか、と自分を評価することにしている。
ひとつひとつの長旅が、わたしという人間を少しずつ変えていき、
現在のわたしという人間をつくってきた。
その形成過程にたずさわってくれた数多くの移民たちの一人一人に、いま、切に感謝したい。

