4月も半ば
進級、進学、就職、異動など環境が変わり奮闘している人が多い時期ですよね〜
気が張る時期だとは思いますが、気楽に無理せず自分のペース自分らしさを大事にして下さいね
ども、あやめです
あなたはどっちですか?
人生って、何事も問題なくスイスイ理想通り予定通りに行く人なんていないものです。
ただその中でもそれなりに上手い方向に行かせられる人達がいます。
よく『人生は心の在り方次第』とは言ったものですが
その本質とはどういったものなのか

勿論、それは上辺だけの良い人でいることではありません
物事の本質的な捉え方や考え方の根底がそもそも違うと思うのです
まず前提として
自分らしく素直に生きること
自分らしさ自分自身を取り巻くものを全て認め、配られたカードを認識し、自分の心や全てにおいて素直に。
*配られたカードとは、生まれ持った自分を取り巻くもので自分では選べないもの、例えば生まれた国や地域、親や兄弟や我が子、生まれ持った外見や知能、得手不得手などの能力などのこと
最終的にそれが根底にあることが全てです。
ただその理解に到達する前の時点で上手く行かないと嘆いている人には、上手く行かせられている人との間に決定的な違いがあります。
その一つを具体的な例でわかりやすく言うと
減点方式か加点方式か
他者を見る時、起こった出来事や物事を見る時、自分自身を見る時などなど
あらゆるもの全てにおいて減点方式か加点方式か、最初から見方が違うのです。
あなたはどっちですか

まず自分は減点方式か加点方式のどちらから物事を見ているのか
例えば、恋愛相手や妻や夫、我が子や友人、職場の人間などの他者、引いては自身においても
減点方式で見て行く人はまず自分の思い描く基準を置いて、あそこが良くない、ここが良くない、あれが出来ない、これが出来ない…といった具合で
テストの減点方式で言うところの100点を基準(普通)として、ここが間違えているから−10点、誤字脱字があるから−5点と言った具合に、100点を基準(普通)として考える
夫で言えば、稼ぎが少ないとか家事育児をやってくれないとか
我が子で言えば、運動神経が悪いとか、勉強が出来ないとか、コミュ力がないとか友達が出来ないとかマイナスの減点部分から見る。
加点方式で行く人は
まず100点はあるに越したことはないけれど、そこに重きをおいてもいないし、100点の基準(普通)もおいていない。
もし基準があるとするならば、それは自分の中での合う合わないや自分にとっての許容範囲かどうかの基準でしかなく、そもそも他人の減点部分をジャッジしようとする概念がない。
その上で、良い部分や自分に合うポイントがあればそれを素直に認め感心するだけ。
夫で言えば、(家事育児はしなくても)稼ぎがいいとか、(稼ぎが少なくとも)穏やかで優しいとか
我が子で言えば、(運動神経が悪くても)勉強が出来るとか、(運動も勉強も出来なくても)人に優しいとか自分で考えられる子だとか
はなから()の部分はマイナスポイントでもない。
人生の起こる出来事や配られたカードにしても
理想や予定を普通として基準(100点)を置いて減点方式を取って行けば、そりゃ普通以下なんだって認識にもなるし、幸せそうに生きている人を見て『なんで私だけ…私は恵まれてないんだ…』って感情にもなるもの。
そしてその負の感情の中で生きていれば、それに見合ったものを引き寄せるし、それが日々の積み重ねとなって未来へも繋がって行く

はっきり言えることは、世の中は不公平で不平等で理不尽なものなんですっ
これは声を大にして言いたいっ
笑
笑そしてあやめの中ではそれが基準ですっ
どこをどう見たら世の中が公平で平等で理不尽でないと思えるのか逆に聞きたいぐらい
人が望むこうであって欲しいという気持ちは大切な原動力ではあるけれど、希望的観測なだけでは何にもならんし
歴史を勉強して振り返って見ても、そんなものはどこにも存在しないのだからそれが基準だと思うし
自身の置かれた環境を見ても、到底公平だなんて思えなかったから、あやめの中ではそれがデフォです笑
話が脱線したけれど
だからあやめの中では
当たり前なことなんて一つもない
という考えです。
親や家庭環境に恵まれることも、配偶者や我が子に恵まれることも当たり前ではない。
そんなひっくいハードルが基準なので、結婚前無職で就職しても安月給で家事育児も大してしない旦那でも、それは許容範囲で
そこから頑張って働いて稼いでくれていること、ストレス耐性が強いこと、じゃじゃ馬なあやめを自由にしてくれることは当たり前なことではないし、あやめにとっては大きなポイントでありがたいと思っているし
それは我が子にも親にも友人にも職場の環境にも言えること。
その許容範囲は人それぞれだから、稼ぎが悪いことや家事育児をしないのがどうしても嫌なら、その人には合わないってだけだと思うし
稼ぎが悪いのが嫌ならはなからそういう人を選ぶか、稼ぎが増える方に尽力するしかない。
あやめは後者の増える方に尽力してる
全て(100点)を求めるから苦しくなる
それ(全てを求めること)を解消するためにも『己をよく見ること』と言うのは理にかなっていて
己をよく見て認識出来ていたら、自分だって100点満点な完璧な人間ではないと分かるものだから
(そもそも完璧な人間なんてまずいないしね
)
他者や物事に100点を求めようとはしなくなる。
しなくなると言うより、出来なくなると思う。
人には生まれ持った得手不得手があって、その人がどんなに努力をしても出来ないこと(配られたカード)ってあるから
それを自分だって求められても困る
人生も同様に、羨んだり嘆いていても何も変わらない。
どうしても他人が羨ましいなら自分にもそれが成し遂げられるかやってみるしかないし、それが出来なかったからと言って自分の価値がない訳でもない。
それにトライしてみようとやってみたことが当たり前ではないし、それが出来る人間はすごいと思う。
あやめはぐーたらめんどくさがり屋なので、その時点で尊敬に値する
世の中目に見える結果や形だけを評価する人ばかりではないし
それだけを評価する人間はそれこそ減点方式の基準を持っている人だと思うのです。
加点方式の人間ならば、自分に出来ないことをやれる人は素直にすごいと感心するものだから。
そこに結果が伴えば、妬む感情よりも素直に『良かったねー!頑張ってたもんねー!』となるもの。
他人を妬み羨むだけの人は、減点方式でいて且つ己を見れていない人
素直に己を見て認識し、自己に合う基準(自分らしさ)に気付き、自身にも他者にも人生そのものにも加点方式で認めてあげられる
そんな幸福度の高い日々を積み重ねて行くこと
それが本来の『人生は心の在り方次第』の本質です
減点方式と加点方式、あなたはどっちでしたか?
自身を認識出来ること、それはとても強い人間の象徴でもあるのです
豊玉姫神社
1月の中旬につばきさんと成田山へ新年の挨拶に伺った後に行った神社です。
この神社がある地は、現在は銚子の海から内陸に結構入っているのですが、大昔はこの神社のすぐそこまで海だったので近くには貝塚が多数見られ地名も貝塚となっていました。
ひっそりとある神社ですが、きちんと手入れされていて地元の方からも大切にされているのがわかります
古代の気がそのまま残っていて威厳のあるエネルギーのすごい神社でした

あやめ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ご相談内容に合わせた電話鑑定をやってます♪( ´▽`) *心の話、潜在的な話、現実を生きるための話などスピカウンセリング寄りでやってます
詳しくは





