逆を取れば幸せには辛いも隠れてる。 | あやめ@あぷりこっと*の『主成分はガラクタです。』

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〜そう、8割がガラクタで出来てる日常なのだよ。〜

踊ってみたのあぷりこっと*/Alstroemeria Recordsのayame/ぴなふぉあのあやめ/DJとかMCとかもやるようになった、アイカツ!に夢を魅せられ人生救われて人生捧げてるアイカツおばさん!瀬名あかに夢中!

さてさて、深夜の更新です。


今回は見て欲しいような、見て欲しくないようなそんなブログを書きます。ちょっと長いし、ちょっとどころかかなりダークだし、でもでも、なんか不特定の人に伝えてみたいなって思うので割と赤裸々に書きます。





11/3に初台でダンボカイベントがあったのですが、その日の朝に、地元茨城の病院から電話がありました。『父親が入院している。検査をしたら命に関わることだったから、これる時に病院に来て説明させてくれ』というものでした。



私の家庭事情を文字にするのははじめてな気がするのですが、私が11歳の時に父親は蒸発して、外国人母子家庭という環境で育ってきました。

小さい頃や学生時代は、それを不幸だなとも何回も思ったし、世の中は不平等だなって思うことなんかたくさんあったし、何か上手くいかないことがあると家の事情のせいにして落ち込んだりすることもありましたが、

今振り返れば、そんな環境になったからこそ『私がしっかりしなきゃ』という気持ちで学生時代いられたし、深くしっかり物事をよく考える性格になったんだと思います。今となっては良かったと思うぐらい。



そんなで生きてた私の元にきた父親の生死に関わる連絡。何年も会ってないのに朝っぱら一方的に『生死に関わる』なんて言われて、どう構えていいか分からなくて、戸惑いが酷くて本当に憂鬱で憂鬱で、笑顔になれなくて、今だから言うけど本当にイベントどころじゃなかったです。

スイッチ1つで涙が溢れそうで、イベント出たい気持ちでいっぱいなのに、イベント中にあんなに帰りたかった気持ちになったのははじめて。

おまけに踊る曲にハロー、プラネットがあってしぬかと思いましたw歌詞と重なってリハからぐちゃぐちゃになってたのは覚えてますw心配かけてごめんなさい(´・ω・`) 





イベントが終わり、数日後の休みの日に地元茨城の病院に行って説明を聞いてきました。

『父親が末期の膵癌(すいがん)である』
というお話でした。

どうしたらいいんだwっていうのが素直な本音w本当に小さい頃に思い出が少しあるだけの父親が『ハイ、もう先短いです。数ヶ月です。』みたいなこと言われて。再会がまさか余命宣告というビッグバンw

もちろん再会イベントとかもあったりしました。イベントって言葉どうかと思うけどw覚えてた父親の記憶からは想像出来ないぐらい小さく感じて、でも顔は間違いなくあの時あの頃の父親でした。

第一声どうしようかなって考えたら発してた言葉が『息子でーーーす!(弟)』『娘でーーーす!(私)』でしたwおちゃらけないとやってらんなかったですw

そこからはいろいろお話しました。長年の誤解を解いたり、今のお話をしたり。本当にいろいろ。とりあえず私がいま、がむしゃらにやってることに対して、全部に関心持ってくれて応援してくれました。結婚心配されたけどねw

空白の長い時間を埋めることは流石にできないけど、確かめたいことを全部本当に全て確認できました。私の精神論とか全部父親譲りなんだなーとか、性格とか死生観とかもぜーんぶ父親譲り。

11月の中旬まで本当に毎週イベントに追われ、終わった頃にやってきたビックイベント(あまり喜べるものじゃないw)でしたが、

本当に全てが終わった頃にポンと、血縁の清算みたいな時期(一番正しい言葉選びしたつもりw)に、ひょっこり入って『あぁ、なんて神様はこういうタイミングでこういう運命に巡り合わしてくるんだろ』って思いました。

きっと何か理由があるんだろうなって思ってたんですが、茨城から帰る前日に父親からとあることを話され、それを聞いてその理由がわかりました。

その理由は流石にここに書くとダークすぎる内容なので、直接会った時にお聞きくださいw簡単に言うと『過去の私の生命力は半端ない!』といった感じでしょうかw



手術も検査も終わり、今はもう退院しています。残された命は年内なのか、もしくは頑張って桜を見れるのか見れないのかぐらいかなと思っています。

この半月、お休み期間をいただいたタイミングでの出来事。長い空白の時間があったとはいえ、結末を迎えることが辛くないなんて言ったら嘘にはなるけど、でも、私の中で区切りがやっとつけられた出来事でとてもスッキリした出来事なのでした。

病院で父親が『お前が出てる舞台、俺も見に行ってみたいなぁ!』と声を高々に言ってくれたことは決して忘れないと思います。無邪気に、興味津々にその言葉を言う父親の姿を見れたこと、本当に心から嬉しかった。私は私が信じた道を頑張るだけだなって、心に強く誓いました。



茨城から東京に帰るタイミングで、お仕事のお話がポンポンっ!と舞い込んできて『あー、やっぱり神様タイミングはかってるなw』と感じましたwきっとこの11月はこうなる運命だったんだと思います。

夏からバタバタと忙しくて少しばかり心を無くした私へ『忘れた心を思い出せ』と言わんばかりの出来事。ちゃんとしっかり受け止めて、前に進もう道を作っていこうという決意になりました。




実を言うと母親とも不仲だったりで、私の頼れる家族は弟しかいない中で、強さをくれるのはいつも応援してくれてる皆さんです。本当に『1人じゃないんだ』という気持ちにさせてくれてるんです。それがどれだけ私を支えてくれてるか。

私の動画や私本人と話をして、『元気をもらえました』『笑顔になりました』『明日からまた頑張ろうと思えました』という言葉に私は本当に救われてます。『ああ、私、ここに居ていいんだな』といった気持ちになります。求められると嬉しくて仕方ないです。

だから本当に辛くないし、頑張れます。私を支える力をくれてることへの感謝を、私なりに『ありがとう』を形を変えて、伝えていけたらいいなと思う、そんな人生です。




長くなりましたがここまで読んでくれてありがとうございます。本当にダークだったなw でも、私が何でこんなに頑張れてるか、説明するのにここまで要してしまいましたw本当にいつも応援してくれてありがとう。これからも、本当に夢に向かってたくさんたくさん努力していくので、見守ってくれたり、時には触れてくれると嬉しいです。




余談ですが、落ち込んだ時も踊ってたら楽しくなってきて踊りの力はすごいなと再認識しました。楽しく踊ろうたくさん、これからも!

keep your chin up!(^ν^)

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