守も護も「まもる」ですから、他の意味になりようがありませんね。

守護とは、

「あるものが続くようにまもること」

を言います。

仏教では、仏や菩薩は清浄で犯すべからざる存在ですが、評判を妬んで悪いことを仕掛けてくるものが居ないとも限りません。

そこで、仏・菩薩が安心して救済活動ができるよう、力の強い神様達が守護してくれるようになりました。

天竜八部衆がその神様達、つまり守護神の元祖かもしれません。

天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅迦は、仏法守護の八神です。

この神様と仏菩薩の関係にならって、何時しか人間の中にも、

守護するもの・されるもの

の関係が出来てきました。

日本で、具体的に「守護」という名の人間が生まれたのは、鎌倉時代です。

鎌倉幕府が源義経・行家の逮捕を名目に、国ごとに設けたのが起源だそうですが、結果的には各国の長となりました。

初めは、犯罪人や謀反人を取り締まるだけでしたが、次第に勢力をつけ、室町時代の応仁の乱後は、守護大名として天下を狙う存在になっていきます。

将軍を守り、領民を護るはずの守護が、将軍や領民に敵対していたのでは、守護になりませんね。

また昔、守護不入地と言って、守護の支配を受けない地区がありました。

社寺の領地や特別の荘園などですが、今でも聖域・税金免除・治外法権等の地がありますね。

その様なところに関わっている人は、そこをシッカリ管理する必要があります。

ところで私達には「守護心」があります。

1)心の安定をまもろうとすること 
2)自分を正しいとして、自分の立場をまもろうとする心

です。

守護心は大切な本能ですが、「まもる」ことだけに汲々としていては、醜いことになるでしょうね。

本当に自分をまもりたいと思ったら、相手をまもることも忘れてはいけません。