不謹慎ですが記憶の整理として
書きとどめてみる。

小学校低学年で
初めてのお葬式に参列した記憶がある。

父方の母方の親族で

おそらく曾祖父母のどちらかのお葬式。


ほんとにおぼろげで断片的な記憶だが
なれない空気感
人見知りの引っ込み思案な幼き頃のわたしは
母の横にくっついて
なれない正座に苦戦していたような。
そんな記憶が初めてのお葬式。


二度目の葬儀は
中学生になってすぐに祖父のお葬式があった。
食べ物を喉煮詰まらせて静かに息を引き取った。

母方がある宗派に入れ込んでいたから
拒否権なしにその宗派で行われた。

葬儀の直後に応募していた懸賞があたり
カメラとの出会いがこのとき。

寡黙な祖父とは
言葉こそ交わすことはないが
恐さもあるが嫌いではなかった。
小学生高学年の時にも
心臓系の病で入院をして
【あと一週間の命です】といわれたが
そこから数年なにもなく
さいごはあっけなかった。

学校の帰り道、
葬儀の案内が電信柱に張り出されてて
まさかの我が家で驚いた記憶。

占いによると守護霊は祖父らしい。
以外だったが嬉しかった。


三度目の葬儀は
高校入学してすぐの春。
母の葬儀だった。

父と母が離婚して1年がくる前の出来事。
父側についていたが
訃報の連絡は父側にあり
私は二番目に事実を耳にする。

母は姓をそのままにしていたこともあり
我が家に連絡されている。
今はどうなんだろうか。

母は事故死だ。
世間的には早死にといわれるだろう。
私は母と15年も過ごしていない。

年をとるごとに
親子仲のよい話がうらめしくもあった。

四度目の葬儀は

高校3年目

父方の祖母だった。

秋の始まりごろの朝方に父から電話があり

祖母の様態がよくないと

姉と二人でタクシーで病院に向かった。


着いた頃には息は絶えていた。

少し早ければ会えたのに。


祖母が大好きだった。

私の一番の理解者で

祖母がいるから父方についたまである。


高校生になってからは頻繁には会えなくて

入院してからは

数えるほどしか会えなくて

いや会いに行かなかった。


父が祖母の世話をし始めて

糖尿病の悪化で足の指を切断したとは聞いていたが

死後、その足をみたときは

なんともいえない気持ちになった。


祖母は三兄妹のなかで

わたしを一番に可愛がってくれていて

姉のことは良く思ってなかった。


その姉がなぜか大泣きをするから

私は涙が引っ込んだ。

いや泣けなかった。

姉を前にして何で泣くのか理解できなかった。

なにもしてないのに。


祖母は祖父の死後、

施設にはいり、その後は病院を転々としていた。

我が強い祖母は人に嫌われやすくて

厄介モノ扱いをされていたし

口の悪さもそこそこだった。


姉は施設に会いに行くことも

親の離婚後、母方についてからも

一度も面会に行くこともなかった。

その姉が大泣きをしている姿に

意地でも涙を流さないときめて

葬儀の記憶事態は良く覚えていない。


後に父に言われた。

わたしが泣かなかったことに驚いたと。

気づかれてた。と思ったが

理由は言わなかった。


五度目の葬儀は

30代前半の春で桜が咲く頃で

母方の祖母だった。


晩年は透析治療をしながらの生活であったが

大往生の生涯だ。


子どもは5人いたが早くに第一子がこの世を去り

夫である祖父も50代でこの世を去り


一人で子どもを4人育てて

70代でさらに子に先立たれ

その後も20年近くを生き抜いた。


私は母方とは反りが合わない。

今だにそうだ。


祖母とも母の死後、何度も衝突した。

それでも祖母とは関係を保っていた。

なくなる前の10年ぐらいは

わだかまりが小さくなったことも実感した。


祖母は誰よりも強い人だったと

今になって思うことがある。


子や夫に先立たれるということが

どれほどダメージが大きいことか。

残された子達は自己中ばかりで

いい年しても甘えていたし

親なきあとの子達は仲違いをしている。


わたしが体験した人が死ぬこととは

5回だがどれも自分と近しい人のみ。


最後は父と兄妹だが

残念なことに兄妹仲は極めて悪い。


だがその最後の父の死が

こんなに早いとは思わなかった。


母の死は突然で気持ちの整理が出来なかったが

現実は押し寄せてくる。

日にち薬とはこの事で

日に日に感情が薄まることを待つしかなかった。


死んでほしくはないが

生を与えられたら避けては通れない。


そのときがくることは誰にもわからない。

物理的な事故の場合はまったく予測でない。


病気の場合も時期を予測はできないが

可能性という部分では

死というものがちらつく。


どちらもいやではあるが

どちらかというと後者がまだ

残される人間にはダメージが少ないと

私の経験上、そう思っていた。


そう思っていたし

覚悟はできていたが覚悟が足りなかった。


わたしは末っ子だし

仲違いしていても兄妹がいるし

兄妹がするものだと思っていたが

私は喪主として父を送り出した。


虚無感を体感した。

忘れていた感情を思い出した。

数年前から覚悟していた。


でも実際に目の当たりにすると


人が死ぬということ


人間としての使命の最後のそのときは

これほど荷が重いのかと痛感した。


人が死ぬということ


あと何度、経験するのだろう。



SGとの一件のときに別件で死活問題がありました。


私のしている業務の一つに取り決めが多くあり
その解決を他部署でしてもらわないといけないのに
ことが起きてから数ヶ月放置されてました。

どうなりましたか?ときいたら
その場で確認すると言われ
数時間後に口頭で返答でした。

その仕事の遅さにも理解が出来ず
仕事の重さと責任が事務員で対応が出来ないと
思うほどになりました。

またその部署と所属部署は電話回線が同じですが
その部署の対応も悪くこちらがカバーしている状態で
コロナでテレワーク時差出勤もありますし
あまりにも比重が重くなりました。


それらを全て改善してほしいと
自分のクビをかけて直訴しました。

結果として要望は通りましたが
まだまだ改善点は多くありますので
納得はしていません。

アナログが多く残る会社なので
言わないと損をすると思っていても
ここまでとは思いませんでした。

Aさんの話の電話が多い~は
私の改善案に便乗してのことなのは一目瞭然。

ほんっとに自分で解決しない人なのです。

まだ、働きますがどこでどうなるかはわかりません。




教育がなってない。からしばらくして

別件でもいろいろとありまして

もう無理だ、今すぐ辞めたい。となりましたが
いち社会人ですから
テレワークでボイコットをしようと
入念に準備をしました。

そして、上司にメールを送り逃げをして
翌週、テレワークをしました。

その内容にSGのことも書きました。



上司もSGには頭を抱えておりましたが
なにせ良い年の男ですから
なかなか難しいところがあり
目をそらしていたと。

今回の件で私は社会人として欠如していたことは詫びて

SGに謝られても許しません。
根に持ちます。と。

仕事は割りきってしております。


この男とは仕事をやめるまでの関係ですが
一生許しません。