何をすれば傷つくとか考えてなくて,自分の感情がわからなくて,友達と楽しみたくて,共感したくて仲良くなりたくて,結果人を傷つけたことがある。何回も。それに気づくのに時間がかかって,ぼくのよくわからないような事件に巻き込まれた結構いる。

 本当は謝りたい。でも,蒸し返して嫌な思いをするんじゃないか,それともそれは,自分の怖い気持ちを隠すための考えなんじゃないかとか,自分のしたことを思い出すたびに考えてしまう。謝りたいって思う気持ちに,あなたの心を踏みにじってごめんなさいっていうのと,あなたを傷つけて苦しい思いをさせてしまってごめんなさいっていうのと,そこに余計な感情が混じってきてしまう。それは,この自分自身の中のもやもやした思いをなくしたいっていう,自分勝手さ。そんな感情があるなら結局自分のために謝ってんだろって自分が思ってしまう。相手にもやもやが残っているなら,それをなくしたいって,それも本当の気持ちなのに。自分勝手さが入ってきてしまうのが本当に嫌だ。謝りたいと思うといろんな感情がわいてきて苦しい。だから,ただただ,相手がぼくのことを忘れて,あるいはどうでもよくなって,幸せになってほしいと願うだけ。こうやって願っているのは本気。とある事件に首を突っ込んでから。それでも,ぼく自身が人を傷つけたことがある。ぼくに傷つけられた人たちは,その分の苦しみとか怒りとか,余計に背負ってしまってはいないかって。そうやって心配する思いと同時に,ぼくのもやもやは晴れないっていう自分勝手な苦しさ。今その人たちがどこで暮らしているのかわからない。物理的にその人たちと会うことができない状況が,ぼくにとっていいのかよくないのかもわからない。

 謝りたい。その思いに自分勝手な思いも混じってきてしまう。謝れる状況があったとしても謝るのが怖い。その人たちに会いたくない。だから,ぼくの存在を忘れ続けてほしいっていう極めて自分勝手な感情すらわいてくる。前のブログで自分だけは味方でいることって書いたよ。でもそれを自分が実行できていない。説得力のない文章だよな。スピリチュアルとか己の成長とか,そういう面では必要だったかもしれない。それでも,ぼくが人を傷つけたことに変わりはないんだ。

 ぼくがこうだから,人を傷つけたとか,何か間違いをして苦しんでいる人を,どうにか助けたいって思うんだ。ぼくが勝手に,その人を許したい,幸せになっていいんだよって言いたいって,思ってる。それもたぶん,人のことを想うと同時に,自分を許してほしいと思っているんだろうな。どうにか苦しい思いをしている人に届けたいんだ。成長や学びに必要だったんだよって。苦しいよね本当に。でも,あなたを誰かは許すべきだと思うから,ぼくがここにいるよ。ぼくもまだ,自分を許し切れてないんだけどね。これから出会う人たくさんいるよ。その人たちのことを大事にするために,過去ばかり見続けても仕方ないんじゃないかね。一緒に前向こうや。