先日、ピアニストのフジコヘミングさんが

亡くなられたというニュースがありました。

 

わたしはすぐに友人のミナコヘミングへ、メールを送りました。

彼女は、私の恩人です。

9年前、突然娘を喪くした私を、救ってくれたひとです。

 

 

9年前の5月に娘を喪くして、翌6月には娘と一緒に

福岡ドームへ、B’zのライブに出かける予定でした。

キャンセルしかないと思っていたら

主人が一緒に行く、というので行くことにしました。

ホテルも娘が手配してくれていたので

娘の写真を胸に、福岡へ行きました。

 

主人はライブのあと、新幹線で帰りましたが

ホテルに一緒に泊まってくれたのが

福岡に住む、ミナコヘミングでした。

 

翌日。

彼女は私が帰るときに、新幹線のホームまで

見送ってくれました。

お別れのとき、電車の中から、彼女を見つめていると

大粒の涙が溢れてきました。

それを見た彼女は、電車の中に入ってきて

つかの間、私の肩を抱いてくれました。

 

あの日のことは生涯忘れないと思います。

 

その彼女は、私と同い年。

娘のことがあって、なにかをしたいと思っていたとき

一緒にマラソンにチャレンジしてくれました。

沖縄マラソンの短いコースを一緒に走ったこともありました。

 

その後、彼女は60歳を過ぎて、ピアノにチャレンジしました。

その時から、彼女のことを私は、ミナコヘミングと呼ぶようになりました。

 

「フジコヘミングさんは、67歳で初めてCDを出したんよ」

「私ら、今年67歳やん。何かデビューしよ」

「なにする?」

「なんでもええねん、何かしよ」

 

いつも何かにチャレンジしている彼女に勇気づけられて

ここまでやってきました。

 

あの時、親友だと思っていた人たちは、潮が引くように去ってゆき

当時、SNSで知り合ったばかりの彼女に助けられました。

 

私にとって5月は重く苦しい気持ちになりがちですが

彼女のように、なにかできることを探そうと思います。