こんにちは
古典ヨガ講師の亜矢子です

昨日の師マスター・スダカーのワークショップの興奮が冷めやりません

この日、開催のために、たくさんの方が動いていました

私も会場の手配、Wi-Fiのレンタル、プロジェクターの準備、たくさんの方にもお声かけをさせて頂きました

私達には見えなかったけど、マスターを画面に写し、マスターが参加者達を見えるように何台もモニターを繋げて、操作してくださっていた方もいました
(何台のモニターを何人で操作していたんだろう?)

そして、いつもお声だけで、あまり画面上には登場されない、通訳の中嶋円さん

香港でマスターに逢われ、マスターを日本の私達に出逢わせてくださった方です
まどかさんがいなければ、日本に連れてきてくださらなければ、私達はマスターに出逢えなかったのです

まどかさんは、元々、通訳をされていたわけではないそうです
最初頃の通訳は失敗ばかりでマスターに叱られてばかりだったと聞きました(想像出来ないけど〜)

私が英語の勉強をしていた時の先生が仰っていました『通訳は機械にならなければいけない、機械になるのは嫌だったから、私は通訳者ではなく英語の教師を選んだ』と

英語の理解できる人ならわかるかもしれないけれど
まどかさんは意訳をするときもしばしばあります

本来、本当のヨガを伝えるのに、マスターはきっとタミール語で伝えたいはず
母国語でない、しかもヨガを説明するのにはきっと不足な外国語、英語という言語を使って、ヨガを伝承しようと努力してくださるマスター
英語では伝えられない、そんなもどかしさも時折、垣間見れます
そして、それを日本語に訳してくださるまどかさん
それはそれは、容易な事ではないと思うのです

まどかさんは、日常をほぼマスターと過ごしていらっしゃいます
まさにずっとヨガ漬けなんだと思います
だからこそ、そのまどかさんから出る言葉は
ヨガをヨガとして伝えようとされているマスターの想いをくんだヨガそのものなのです

きっと、まどかさんの経験を通じて
こうしたら日本人に伝わりやすいのでは?と
瞬時に察知して、スラスラと言葉が連なって出てきます
頭脳明晰なだけでなく
ヨガをヨガとして捉えて
ヨガに絶大なる信頼を持ち
そのヨガを伝えてくださるマスターのお側にいる方
それが、まどかさんです

時に言葉は厳しいけれど
それはヨガへの敬意なんだと
最近ですが、やっと、私もわかるようになりました

伝えるって難しい
本当に知っていないと
それは薄っぺらい表面的になものになってしまう
そしてそこには、『自分』を入れず
ただ伝える、そのままを伝える

『薔薇は薔薇である』

5年前にお会いしたときから1ミリも変わらない
それがマスターとまどかさん

ただ、機械のように訳すのではなく
本物を知っている
それを言葉にする
それがまどかさんなんだと思います



いつもいつもありがとうございます