2024.1.6(土)雨ときどき曇 雷を伴う 金沢11・9℃

 

身体がカチコチにこわばってた。
断水に停電とライフラインが途切れ、不自由な生活をしている被災者を思うと、水で手を洗う事、歯磨きをすることすらも「もったいない」ことに思え、「すいません、すいません、水を普通に使ってすいません」と思い、誰の為にもならない遠慮と申し訳なさで、体も心も縮こまっていた。

今年は元日から勤務だった。
しかし、仕事といえども、どこかのんびりした気分で過ごしていた。2024年はどんな年にしようか、家に帰ったら何をしようか、などと思いを巡らせていた。

元日さえ出てしまえば次の勤務は8日(月・祝)と、今年は近年まれにみる長い冬休みだった。
夕方ニュースに向け、初詣や年賀状配達式の原稿を準備していた16時10分。

報道フロアに不穏なあの嫌な音が響き、普段光ることのない青いランプが点灯した。緊急地震速報のランプだった。
「このあと地震が来るのだ」と構えたものの、一瞬心のどこかで「そんなの嘘だよ。何かの間違いだよ」と思う自分もいた。正月ならではの、ぼ~っとした気持ちが続いていたからである。

すぐに東京の本社から電話が鳴り、それに対応しているときにぐぅらんぐぅらんと横に大きく床が揺れた。

「ああっ、すごい揺れています!金沢が揺れている!!」と叫んだ気がする。

電話の向こうで「大丈夫ですか?」という声が聞こえる。

休日対応の男性記者が「落ち着いて 落ち着いて」と、手を上下に振っている。

「落ち着いて」サインを出してくれた様子が、今も目に焼き付いている。

金沢でこの規模なら、能登はとんでもないことになっている・・・。もう何もかもがひっくり返る、恐ろしいことになった、と直感した。

そこからはノンストップで災害報道を続けた。ヘリからの映像を受けていると、輪島の火災の勢いが止まらず、この世の終わりのような気持ちになった。
元日に震度7の悪夢。いや、これは夢ではなく現実。

2日の未明1時半ごろ、仕事から帰ったら部屋の中がめちゃくちゃだった。

ガラスが飛び散り、観葉植物の土が散らばり、大切な食器も粉々に割れていた。

あと数時間後には、地震特番がある。数時間寝たら、朝5時半には会社に行かなければいけない。

もう何もする気力も体力もなく、部屋の中は見て見ぬふりして、ベッドに直行し寝た。

そんな生活を数日間続けていた。

 

引き出しが開いて、物が散乱していた 冷蔵庫のドアは母が閉めてくれていた

 

良い香りを放つガラス製のマジックボールが割れ、観葉植物の土が散らばっていた

 


書斎の本も床に散乱していた まだここは手をつけておらず


6日(土)に1日休みがとれた。

気力がなく、ずっと横になっていたかったが「今日しかない、えいや!」と起きて部屋を片付けることにした。テレビボードの上に置いていたガラスの瓶や、食器棚に入っていたワイングラスなどが粉々に割れている。

 

「ガラスでけがをすることは避けたい」と、慎重に作業を進めていく。

ほうきで掃いたり、水拭きをしたり。

100円ショップのほうきとちりとりが意外に役に立った。

ラグは間にガラスがありそうなので、掃除機のモードを「強」にして、吸い込ませた。

ラグでくつろいでいるときに、細かいガラスでけがをすることがないように。

 



ひとつずつ部屋を整えていくことで、体のこわばりが取れていくようだった。

それでも「被災地の人に申し訳ない」という気持ちがぬぐえない。

飲み水もままならない人たちがいる中で、水拭きのぞうきんを搾れることが申し訳ない。

この日、正月に食べるはずだったおせちを解凍して、ようやく食べた。

おいしいはずなのに、また「申し訳ない」と、思ってしまう。

 

すいません、すいません、すいません。普通の生活をして、すいません。

1月はそんな気持ちでスタートした。

 

今年初めて「おせち」を買った 今までは祖母の炊いた豆や、昆布締めの刺身や、雑煮などを食べていた

 

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